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中期ドイツ啓蒙思想を代表する哲学者にヴォルフがいる。ライプニッツの知遇を受け、その後フリードリヒ大王の下で半世紀の間ドイツ哲学に大きな影響を与えた。独創性はなかったが、他者の哲学を総合的に講義し、ヴォルフ学派を形成した。ライプニッツ、ヒュームからカントへと繋いだのは彼らの功績だと言える。(P276-8)
…当然ながら、高校倫理ではヴォルフの存在は無視されている。もし、講義する機会があれば是非とも挿入したい部分である。
スピノザは、日常会話にはポルトガル語を使い、オランダ語は堪能ではなかった。制度化された学問内部にいたわけではなかったので、学生に教える必要がなかった故である。インテリに(若い頃に独学で習得した)ラテン語で伝えれば十分だった。(P283)
スピノザ主義者の一人、モーゼス・ヘスはヘーゲル左派で、初期のマルクスやエンゲルスと、『哲学草稿』や『ドイツ・イデオロギー』を書いた。その後、共産主義に傾倒したマルクス・エンゲルスと離れ、シオニズムに向かった。1840年半ばの若い思想サークルが、一方はマルクス主義・ロシア革命・共産主義体制を育て、もう一方はイスラエル国家成立の道をつくったわけである。(P284)
…世界史を大きく動かした、こういう逸話は地味に興味深い。
18世紀後半のドイツでは、スピノザ主義が最も議論を呼び起こした。もともと共和主義的観点でスピノザに共感を寄せていた啓蒙思想家・ラッシングは、晩年ゲーテの詩『プロメテウス』(画像参照)の中にスピノザ主義を読み取り、「スピノザ哲学以外の哲学は存在しない。」と延べ、その標語として「一にして全」を提示した。この標語をモットーにしていた青年期のヘーゲルや「ぼくはスピノザ主義者になった。」と叫んだシェリング。絶対者を捉えようとするドイツ観念論に基礎を提供したのは、スピノザ主義であった。シェリングとヘーゲルが、フィヒテと共同で対決した際の2人の哲学体系構想は、スピノザ主義に根底から規定されている。(P285)
…ドイツ観念論は、カントの影響を強く受けた絶対精神を主張するフィヒテに対し、絶対者を立てるシェリング、絶対精神を立てるヘーゲルという図式になるので、このスピノザの影響をめぐる記述は大いに納得できるところである。
コントの実証主義は、それまで形而上学が超越的反省の下で鋭く対立させてきた、主観と客観、経験と合理性といった認識の諸契機を、同じ人間性の事実として、同一平面上で、「組織的」に理解しようとするもので、このアプローチは社会学という学問を生み出した。社会学では実証主義が死活的に重要であり、コントは社会学の生みの親と言える。(P288)
神学の場合、形而上学が不可分に結びついている。この形而上学を脱却して、神学を再構成すると、現象としての宗教を見ていくため、宗教学になる。さらに社会学的な方法を強調すると宗教社会学になり、神学の発想とは違い、形而上学的なものをいっさい取り去った学問となる。(P289)
社会学は、当初、マックス・ウェーバーなどを中心に研究していたが、ポストモダン的な社会学の影響で、小さな差異を見るという社会学インフレになっている。それまでの社会学はコントが提示したしっかりしたディシプリン(規律/専門分野など)があった。それは確実な実証性を求める、ということである。(P290-1)
実証主義は、弁証法とぶつかる。弁証法というものは、対話の中で色々な議論を見つけていく立場であり、実証主義は客観的に正しいものがあるという見方故、弁証法的な発展や止揚もしない。反証主義的なカタチをとって、実証をより緻密にしていくので、根本的に異なるのである。(P295)
…コントの実証主義については、高校倫理ではあまり触れないのだが、かなり重要な位置を占めていると感じる。この感覚を大事にしたい。



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