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本日のエントリーは、『東方キリスト教の世界』(森安達也著)の備忘録的な内容である。前回記したように、森安氏は西洋史学者でもあるので、膨大な歴史的知識をこの書に詰め込んでいる。その中で、興味深い内容をピックアップしたい。
東方キリスト教会の典礼(公的な祈祷のこと)でミサが代表的であるが、ルカ福音書の22-19にある最後の晩餐時の「わたしの記憶のために」から聖餐が生まれた。キリスト教徒は、聖霊の働きによって、パンとぶどう酒がキリストの体と血に変わると信じ、秘儀としておこなうので、当然信者しか参加できない。一方でユダヤ教の安息日に会堂で聖書を朗読する習慣にならい、自分たちの聖典の奉読をミサの前半部に取り入れた。これは、信者以外も参加可能とされた。前半部が終わると信者以外には退席を促す。この退席を促す言葉のラテン語(Ite,missaest:行け退散なり)がミサの語源である。
ビザンツ帝国においてはギリシア語が、ローマにおいてはラテン語が用いられていたが、奇妙なことに4世紀頃から、東方ではラテン語の忘却、西方ではギリシア語の忘却が、ほぼ時期を同じくして起こった。これは考えてみれば奇妙な現象である。
ビザンツ帝国では、皇帝は正教会の総主教を選出する母体であった。総じて総主教の権威はローマ教皇に対して見掛け倒しであった。(…この記述は、現在のロシア正教における国家権力と聖職者の関係にも繋がる。)やがて、このような状況に対して、修道院は批判生勢力として台頭する。彼らは、一般に妻帯を認められていた司祭に対し、主教となるには独身でなかればならないと主張、本来なら世俗を離れた修道士が司祭以上の高位聖職者になっていく。皇帝としても、無害な修道士にまかせることを良しとした。
と、本日はここまで。まだまだ付箋がついている。(笑)



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