2011年12月22日木曜日

上田馬之介氏の逝去を悼む

我々の年代は、プロレス全盛期に青春を過ごした。アントニオ猪木率いる新日本プロレス派と、ジャイアント馬場率いる全日本プロレス派に分かれて、大いに盛り上がっていたのだった。(ちなみに国際プロレスという第三の団体もあって、「気合いだ!」のアニマル浜口はここにいた。)週刊の少年漫画誌でも、格闘モノ(空手バカ一代や四角いジャングル、プロレススーパースター列伝など)が、バンバン連載されていた。

私は新日本プロレス派で、アントニオ猪木は、当然ヒーロー中のヒーローである。坂口征二は地味だが強かったし、ドラゴン藤波や長州力(小力ではない!)、タイガーマスク(佐山聡)などのカールゴッチの伝統を受け継ぐストロングスタイルにして、華麗で演出に凝ったプロレスを手に汗を握って見たものだ。(古舘伊知郎は、今でこそ上から目線のニュースキャスターだが、独特の語り口で新日本プロレスを盛り上げていたアナウンサーだった。)

このころの悪役も凄かった。タイガー・ジェット・シンは、ほんとエゲツナイ奴で、場外乱闘で尖ったサーベルを振り回した。力道山以来の悪役はガイジンという日本的プロレスの原則を、新日本プロレスで体現していたのだった。そこに登場したのが、今日訃報を聞いてショックを受けた上田馬之介である。日本人なのに金髪。今ではそんなに驚かないが、当時としては画期的なスタイルだった。タイガー・ジェット・シンが、サーベルなら、馬之介は”竹刀”である。その姿がなんとも魅力的だった。日本人悪役第一号である。その後、マサ斎藤など日本人の悪役レスラーが出てきたり、日本人同士の対決(私は、藤波と長州の対決が一番だと思う。)、また単なる悪役ではなく、本当に強いスタンハンセンやハルクホーガンなどが出てきたりして、次々に話題を盛り上げていったのだった。まさに全盛期だった。やがて、猪木とブッチャーが戦ったり、馬場のところにスタンハンセンが出たりと、新日と全日が混ざっていってから、私はプロレスをあまり見なくなった。新日と全日の妙味が混ざることで、魅力を失ったように見えたのだった。

下の左端が桜五郎
今日の上田馬之介氏の訃報は、全盛期のプロレスを思わず思い出させてくれた。妻に、その話をすると、「え?桜五郎が死んだの?」と言った。この会話がわかる読者は少ないと思う。昔、『1・2の三四郎』という漫画があって、作者の小林まこと氏が、おそらく上田馬之介をモデルにしただろうと思われるキャラクターが桜五郎なのだ。そっくりである。主人公の東三四郎のプロレスの師匠の名前である。小林まこと氏も私同様、上田馬之介氏が大好きだったと推測する。主人公の三四郎と同じくプロレスラーになった大阪弁の親友の名前も、西上馬之介である。小林まこと氏は、今日の訃報をどういう想いで聞かれたのだろう。

我々の世代に、青春の大きな思い出を残してくれた上田馬之介氏のご冥福を心から祈りたい。

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