2011年12月16日金曜日

「東条英機 処刑の日」を読む

猪瀬直樹の文庫本が出たのを新聞広告で見て、すぐ購入した。文春文庫の新刊である。猪瀬直樹は、『ミカドの肖像』以来、かなり読んできた。この本は、あとがきに「昭和十六年夏の敗戦」の後篇であると書かれている。これも読んだ。(本ブログの常設ページ 「学生時代に1tの本を読め!」参照)

昨日だったか、本校の校長生徒のと国語力向上法の話をしていた時、こんなことを言っておられた。「高校時代、いろんな評論家の文章を書いて書いて、書きまくったら、何人かの評論家の文体を会得した。(天声人語を)書かせると言うのは、やっぱり有効やなあ。」何を隠そう、校長は国語の先生である。猪瀬直樹は、校長の言われるような文体には大きな特徴はないが、構成が複雑だという特徴がある。ぽーんと話が飛ぶのだ。だが、最後には、それらが繋がっていく。あるアイテムがあって、それをもとに歴史をひも解くと言ったミステリーの趣がある。

実は、この本もそういう歴史ミステリー的要素が強いので、あまり内容を書かない方が良いと思うのだ。ただ、この本は、前述の「昭和十六年夏の敗戦」の後篇だというだけあって、敗戦後の天皇と東條にまつわる話である。ただし主人公は、アメリカのGHQであり、マッカーサー、ホイットニー、そしてケーディスである。ここでは、現代史の教材として面白い話をいくつかメモ風に書いておきたい。

マッカーサーが厚木に着いた時、芝居がかったポーズ(例のサングラスにコーンパイプ)をとったが、内心はかなりビビっていたこと。戦場でも丸腰の元帥が拳銃を所持していた。というのも、当時の米軍は1200人。3万人の日本兵が、厚木から横浜までの沿道に銃剣を備えた完全武装で背を向けてて彼らの移動を警護したからだ。…わかる気がする。かなりの冒険的行動だ。

降伏文書調印のため隻脚の重光外相が戦艦ミズーリの艦上に登った際、水を欲し、所望した。しかし、アメリカ軍はそれにを冷たく拒否した。(戦争に)負けると言うことはそういうことなのだ。同行した外交官加瀬俊一は、「彼らの視線は鋭い矢となって、皮膚をつらぬき、肉を裂き、骨を刺すのを感じた。」と書いている。「式は終わった」とマッカーサーが素っ気なく言った瞬間、頭上に400機ものB29の大編隊が空を覆い、さらに1500機の航空母艦搭載機が続いた。またマッカーサーは、サインの時、マックの文字をホイットニー准将のペンを、アーサーの文字を妻のペンを使った。(彼の息子はアーサーと言い、息子に与えるつもりだったようだ。)…私はヴァージニア州ノーフォークのマッカーサー記念館で降伏文書のレプリカを購入したことがある。その裏にこのような秘話があったとは…。

日本国憲法は、マッカーサーの占領政策をうまく運ぶため、またプラグマティックな政治的判断であることは有名だが、彼は憲法草案のために骨子になるべき3点の指示を出している。①天皇制は世襲で良い。ただし法律で役割を限定する。主権は国民にあると明記すればよい。②戦争と戦争権を放棄する。これは私のアイデアではない。首相の幣原喜重郎が言い出したのだ。(幣原は旧軍を恐れていた。2・26事件の時殺されると思い、雪の中鎌倉まで逃げた。それ以上に恐れていたのは天皇である。…とはホイットニーの思索。)③あらゆる形の封建主義は廃棄されること。…これに関してはコメントしにくい。うーんと唸るばかりである。

この草案をもってホイットニー、ケーディスら米側4名が、外相官邸を訪れている。吉田外相と白州次郎、松本烝治らが迎えた。急に憲法草案持ち込まれ、もし日本政府が承認しなければ、GHQが直接提示すると述べ、日本側に読ませている間の10時10分、B291機が外相公邸の上空を凄い爆音を響かせて低空で飛び去る。庭で待っていると、白州がやってきて、彼らの真意を探ろうとした。ホイットニーは凄いジョークを飛ばす。「我々は戸外で、原子力の起こす暖(太陽の熱)を楽しんでいる。(We are out here enjoying the warmth of atomic energy.)」…凄い恫喝である。善悪を超えてアメリカらしい話だ。

タイトルの東条英機が、東京裁判の判決で絞首刑にされた日、それはもうすぐである。その日またブログで、この話題の続きを書きたいと思う。

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