2011年12月7日水曜日

朝日新聞の「オピニオン」から

12月1日付けの朝日新聞のオピニオンに、佐伯啓思京大教授の興味深いインタヴューが載っていた。現在の日本の民主主義への深い洞察である。ブログで紹介したかったのだが、例のハシズムについて、私は筆を置くと書いたので御蔵入りさせていたのだ。しかし今日、例の教育条例案に文科省が「法に抵触する」との見解を出したことだし、私の意見を記さないという条件で、このインタヴュー記事の紹介(引用)をしたいと思う。(ちょっとズルイか…笑)

『今の日本の政治には、2つの潮流がある。1つは閉塞感を打破するため、既得権益を壊し、全てを一新しようとする流れ。もう1つは構造改革や政権交代が結果を出せなかった反省から、少しずつ地道に変えていこうとする流れである。』

『ポピュリズムは、大衆の求めているものを与えると言う事で支持を集める。名古屋の河村市長はポピュリズムだが、大阪都構想は別に大衆が求めているものではない。まず自分が人気を獲得して、大衆をうまく乗せ、自分のやりたいことを実現させてしまう。大衆を喜ばせるんじゃなくて、大衆を扇動するデマゴーグに近い。小泉首相の場合は郵政民営化という目的がはっきりしていたが、大阪都構想は何をやりたいのかはっきりしない。目的ではなく手段である。市議会が反対するから、役人が働かないから大阪はダメなんだというだけで、府と市を再編して将来の大阪をどうするのかという具体的なビジョンがない。権力そのものを自己目的化しているんじゃないか。』

『「独裁」が必要と語る新市長は民主主義から逸脱しているという批判があるが、むしろ民主主義が新市長を生みだした。もともと民主主義には非常に不安定な要素が埋め込まれている。民意といっても1人ひとりの意見や利害は違う。選挙や多数決で集約しても必ず不満が出て来る。民主主義が進み、民意を反映しようとすればするほど、政治は不安定になる。その場合、人々の不満の解消のためには、何か敵を作って叩くのが一番早い。必然的な結果である。民意がストレートに政治に反映すれればするほどいい民主主義という理解そのものが間違っていたんじゃないか。』

『古代ギリシャの時代から民主主義は放っておけば衆愚政治に行き着く、その危険をいをかに防ぐかというのが政治のテーマだった。だから近代の民主政治は、民意を直接反映させない仕組み(間接民主制や二院制・官僚制)を組み込んできた。』

『日本では公務員がバッシングといった薄っぺらいかたちで官僚システムを攻撃してきた。政府が民意に極端に左右されないようにする仕組みが失われ、平板な民主主義が出来上がってしまった。』

『グローバル化によって政治が解決すべき問題が複雑になりすぎた。そういう状況では、国内の民意を政治に反映するという単純な民主主義は根本的にうまくいかない。いつまでたっても問題が解決しないので、民意の不満が高まり、政治批判や官僚批判が出てくる。しかも政治家がテレビ出演し、支持率調査が頻繁に行われて、政治が人気によって左右されるようになった。国民の政治意識の高まりを伴わないまま、民意の反映を優先しすぎたために、非常に情緒的でイメージ先行型の民主主義が出来てしまった。』

最後に、インタヴューアーの尾沢智史氏の「取材を終えて」の引用。
『当選を決めた後の記者会見で、新市長は「民意を無視する職員は去ってもらう」と言い切った。(中略)その民意が佐伯さんの言うように、民主主義を崩壊させかねない危険をはらむものだったとしたら…。アメーバのようにつかみどころのない「民意」の正体は何なのかを考えさせられた。』

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