2011年12月29日木曜日

ソマリアと「坂の上の雲 最終回」

こんなWEBニュースを発見した。2009年ソマリアの首都モガディシュに展開するアフリカ連合軍内で、『昔日本でもよく見られた病気』が大量集団発症したという記事だ。それは、『脚気』である。治安の極度に悪い地域で軍の供給した食事だけで過ごしていた兵士だけに見られたと言う。要するに日清・日露戦争時、軍が兵士に玄米ではなく白米を食べさせようとした”せめてものはからい”によって生じたビタミンB不足と同様だったらしい。
http://kenko100.jp/news/2011/12/28/01

「脚気」…NHKの「坂の上の雲」でも日清戦争の回だったか、軍医の森鴎外が登場したりして、近代戦争の悲惨さを見事に訴えていたように思う。そして、その「坂の上の雲」の最終回が先日ついに放映された。正直、最終回は見事な期待はずれだった。それまでが良かっただけに、がっくりである。(視聴率もかなり低かったらしい。)私は、司馬遼の作品は大好きだ。ただ、「翔ぶが如く」「坂の上の雲」については若干疑問もある。新聞連載された長い作品故に、何度も同じ内容の繰り返しがあったりするし、作品の趣旨が後半に微妙にずれていったりするからだ。

「跳ぶが如く」には、何度も桂小五郎(すでに木戸孝允)の神経質で粘着質な「精神」への批判が出てくるし、トータルに見ると、大久保と西郷の維新後の物語のように思われるのだが、結局西郷は凄い人物だが、参謀格の桐野利秋の無謀さの犠牲になったという西南戦争の「悲劇」というハナシに変化するように私は感じた。「坂の上の雲」も日本と言う近代国家たらんと奮闘していた小さなアジアの国を3人の青春群像に合わせて描いていたものと理解するが、後半はまさに「詳説・日露戦争記」となり、しつこく旅順攻略戦の乃木軍参謀長・伊地知幸介を(「翔ぶが如く」西南戦争時の)桐野利秋以上にボコボコに書いている。(笑)…ちなみにNHKドラマでは、この辺は見事に演出されていた。

長編小説だから、描くシチエ―ションによってはそのポリシーがブレたりするのは仕方ないだろうし、新聞連載だから、何度も同じことを書かねばならないこともあるだろうが、大作家・司馬遼だからこそ、そういう私の思いも生まれてしまうのだろう。

特に、「坂の上の雲」は、読み方が難しい。多くの「坂の上の雲」批判本は、「日露戦争までの日本はよかった。その後はダメになった。」という司馬史観への批判が中心である。薄氷の勝利(というか、ロシアの自滅的な退却戦略と日英同盟と通信網の発達による日本の戦略勝ち)だった日露戦争以降、軍部が自信過剰になり傲慢になっていった故に無謀にも日中戦争から太平洋戦争に突入したのだという史観である。ノモンハンに陸軍兵士として参戦した体験をもつ司馬遼の史観のもとで当然「坂の上の雲」は書かれている。陸軍、特に乃木の第3軍に厳しいのは、そういうところがある。しかし、一方で明治の軍人や日露戦争を美化(日本が巻き込まれた防衛戦争であるという主張)しているという一面は否定できない。

こういう批判があるところに、NHKはどう「坂の上の雲」をドラマ化するか。私は楽しみにしてた。およそ、最終回までは、バランスがよかった、名作だと思っている。司馬遼の原作に忠実なわけではないが、明治の雰囲気(近代国家にならんとひたすら奮戦しているある種の楽天主義)をよく表現していたし、日露戦争を基本的に美化しているようにも見えなかった。反戦的な、兵士の死を慮る表現も多かった。クライマックスの日本海海戦も、CGでうまく表現していたと思う。

ただ、日本海海戦はもう少し複雑である。作戦参謀秋山真之が主人公ならば、その戦術をもう少し詳しく海図ででも示してよかったし、兄の秋山好古が、コサック騎兵を破ったと何度もオープニングで言う限り、機関銃を騎兵に装備させた新進性をもっと丁寧に示してもよかったのではないか。

要するに最終回は、ぼやけたのだ。特に二人の死をイメージさせるシーンは必要だったのだろうか。「龍馬がゆく的な青春群像」に仕上げるのら、前述のように秋山兄弟の活躍をきっちり描いて日露戦争に薄氷の勝利を収めたところで終わればよい。

司馬史観批判をさけて「反戦」に仕上げるなら、好古が退役後の校長時に軍事教練を極力少なくさせるシーンや最後には宗教に没頭した真之をもってくればいい。

「司馬史観をつらぬく」なら、前半あれだけ名演技をさせた小村寿太郎のポーツマスでの戦いを最後にきっちりと描き、それを理解できない民衆と、日本全体が増長してく姿を描けばいい。

最後の最後で、NHKのドラマの方は腰砕けのようになってしまった。残念である。これも時代世相を映し出しているのだろうか。ソマリアの脚気のニュースを見て、いつか書こうと思っていたNHKドラマ「坂の上の雲」批判を一気に書いてしまったのだった。<今日の画像は自宅近くの”土手の上の雲”である。>

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