2011年12月3日土曜日

「貧困の僻地」アフリカの出産

曽野綾子の「貧困の僻地」を読んだ。前作の「貧困の光景」と合わせて、彼女が日本財団(ボートレースの収益を様々な公益に還元する法人)の会長として、国際協力の現場に出向いた際の話がエッセーとしてまとめられている。元は新潮+45の連載であり、日本財団という我々の世代から見ると、右に属するスタンスと、カトリックの熱心な信者である彼女のスタンスも明確で、かなりズバッと書かれている。

さきほどのエントリーで、「NPOアフリック・アフリカ」の『アフリカの子育て』についての講演会に行くことを書いたが、この本の中では、マダガスカルのアンブィナオリナという僻地で遠藤さんというカトリックのシスター(修道女)が働く産院での話が出てくる。授業でも語りたい話(既にMDGsの妊産婦の項で語ったが…)をここで少し引用してみたい。

『患者はそれこそ、人生のあらゆる苦難を背負っているような人たちだった。救急車などというものはないから、陣痛が始まってから難産になると何時間もかかって戸板に寝かされて未舗装の道を山坂超越えて運ばれてくる産婦もいる。私が滞在したわずか二週間ほどの間に、未熟児で生まれてきた赤ん坊もいたし、死産のケースもあった。マダガスカルではお産の後で、白砂糖をお湯で溶いたものを飲ませたり、卵を与えたりするのが習慣らしいのだが、母親のお産に付き添ってきていたまだ四、五歳の幼女が「うちはお砂糖がないの」と言っていたことを思い出す。家族が卵を持ってくるとシスター遠藤は必ず褒めてやっていた。1日1ドルの収入もない人たちが、当時でも一個500円もした卵を産婦に食べさせるのは、家族の思いやりと赤ん坊の誕生を喜ぶ思いからであった。当時でも日本では、人工妊娠中絶が年間数十万件の単位で行われていたであろう。中絶の理由は「経済的」なものである場合が多いが、この豊かな日本で、経済的な貧しさで子供が生めないという理由が通るのである。』『十何番目の子供でも、両親にはこの子を「待っていた」という笑顔がある。待たれている子は、それだけで幸福だ。生命が宿ったことを迷惑に思い、不運と嘆かれ、ついには存在を許されずに中絶させる日本の胎児たちと比べると、貧しい両親の間に生まれるマダガスカルの赤ん坊たちは、親の慈しみを全身に受けた「愛されている赤ん坊」なのであった。』

ここは素直に、アフリカに学び、日本の豊かさとは何なのかを問いたいところである。
何故このように書くかというと、ロボラ(ジンバブエではそう呼ぶ、買婚とも揶揄されることもある男性優位のアフリカの結婚システム)では、女性の立場が低い。また子供(特に女の子)は親の所有物視するとい伝統の問題も無視できないのだ。また乳幼児死亡率の高さも関係しているだろう。

とはいえ、やはり曽野綾子の指摘するところは正しいと私は思う。アフリカの『あたりまえ』は、日本が失い、カネでは取り戻せないものだ。

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