2011年12月1日木曜日

コートジボワール前大統領の罪

Laurent koudou Gbagbo
昨年行われたコートジボワールの大統領選挙で、敗北を認めず居座り続け、3000人以上の犠牲者を出す混乱を引き起こしたバグボ前大統領が、ハーグの国際刑事裁判所に逮捕されたというニュースを、今朝の日本経済新聞の国際蘭の小さな記事で知った。昨日の釜山HLF4のニュースもそうだが、日経の情報量は多い。

さて、このコートジボワールのバグボ前大統領、人道に対する罪で逮捕されたらしいが、まだ彼の支持者も国内には多く残っていて、この逮捕が、議会選挙を控えてさらなる混乱を呼ぶ可能性があるといわれている。先日コンゴの大統領選のエントリーで述べたように、アフリカの民主主義はまだまだ未熟であるかもしれない。まだまだ混乱が続くかもしれない。だが、我々は、欧米的「上から目線」ではなく、あくまでも「パートナー」として見ていくべきだと思っている。

国際刑事裁判所の主任検察官は、「権力維持のために罪を犯す全ての者に対する警告だ。」と述べている。ファシズムを撃退した欧米的価値観こそが普遍であるという、上から目線をちょっと感じてしまう。たしかに、自らの権力維持のために暴力を使うことは、悪だと私は思う。コートジボワールのような悲劇が二度と起こらないことにこしたことはない。しかし、我々の歴史をひも解くと、そのような価値観が確立されたのは、WWⅡ以降のことではないのだろうか。それまでの、歴史では欧米は平気でそういう暴力装置を稼働させてきた。

人道に対する罪というのは、『国家もしくは集団によって一般の国民に対してなされた謀殺、絶滅を目的とした大量殺人、奴隷化、追放その他の非人道的行為』とある。特に独裁的権力の暴走に対する罪であるように私は感じるのだが、全部が全部裁かれているわけでもない。特に大国の過去に関しては動きがあるわけでもない。

バグボを国際刑事裁判所で裁くことは、当然の成り行きであろう。しかし、裁く方に、絶対的正義があるというのは違うのではないか。あくまで、政治的なものでしかないと私は思うのだ。

勝てば官軍。力のあるものが正義。国際社会のルールは、デモクレイジー同様、相変わらずの弱肉強食であるように感じる次第。
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE7B000W20111201

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