2011年12月28日水曜日

「崩御と即位」を3/4読む

仕事納めの今日は、一日中教材研究する予定だった。新年4日からのたった1人の2年生のための世界史Bの進学補習と、先日書いたスティグリッツの経済学入門を読み進めるつもりだったのだが、机上を掃除してから、ちょっと休憩のつもりで文庫本を読み始めたら止まらなくなった。で、結局ひたすら文庫本を読み、4分の3くらいまで読んでしまった。新潮文庫の新刊で、保坂正康の『崩御と即位-天皇の家族史』である。
この本、日本の近現代史における天皇制について興味をもっている私としては、はずせない新刊だったのだ。ちなみに、3年生の政治経済は、アフリカ開発経済学の講義が終わったので、憲法をやるつもりだ。何故日本国憲法第1章は「天皇」なのか。それをひたすら追求するつもりだ。すでに数回分のプリントは出来上がっている。そういう意味では3学期の教材研究の一環でもあるのだが…。

この『崩御と即位-天皇の家族史』は、大正天皇の崩御から昭和天皇の即位、次に昭和天皇の崩御から今上天皇の即位、明治天皇の崩御から大正天皇の即位と続いている。最後は、まだ未読ゾーンで、孝明天皇の崩御と明治天皇の即位の話である。

例によって、興味深い歴史的秘話が満載である。いくつか拾い出したい。

大正天皇の病状悪化に伴い、牧野伸顕(大久保利通の二男・吉田茂の舅・麻生元首相の曾祖父にあたる)と西園寺公望が昭和天皇を摂政とするのだが、この動きに大正天皇の侍従武官だった四竈(しかま)孝輔は、不忠との思いをいだき、これが軍部に伝播し、5.15事件、2.26事件の時彼らが標的となったらしい。…単に当時の政治の中枢にいたというだけではなく、こういう風評的な機微が軍内部で広まっていたというのが怖い。

大正天皇の皇后である貞明皇后は、凄い女傑なのは知っていたが、昭和天皇を始め、四人の皇子の伴侶選びに、歴史的な配慮を行ったという事実がある。昭和天皇には、薩摩藩島津忠義の七女の久邇宮俔子紀の長女を、秩父宮には会津藩松平容保の四男松平恒夫の長女を、高松宮には徳川慶喜の孫を、三笠宮には高木正得(河内丹南藩主の子で昆虫学者・昭和天皇の入江侍従長の義理の兄にあたる)の二女を結婚させたらしい。…天皇家というのは、まったく山口昌男の言うブラックホール的な存在だと再認識した次第。

大正天皇の崩御の二時間後に皇室典範に則って、昭和天皇はすぐ即位した。三種の神器のうち剣と璽(国璽と御璽)を受け取った。…我々の想像よりかなり素早い。もちろん、昭和天皇の際も素早く行われた。公人たる天皇の立場は、我々には思いもよらない。

明治天皇は、元始祭・新嘗祭・神武天皇祭など賢所で自ら神事を行うのだが、やむおえず御代拝を行う際、必ず体を清め、白の御召と緋の袴に着替えて御座所で端然と座って代拝の者と同じ心理状態になっていたらしい。代拝の者が復命すると初めて洋服に着替えたという。…天皇の神事については、それなりの知識もあったが、明治天皇の神事に厳格な姿勢は、政治面でも同様で「天皇」の勤めを全うすることに全精力を費やして、やがて突如として倒れられるのである。確かに大帝であった。

大正天皇は、漢詩を多く残している。かなりの腕前であったらしい。漢詩の師は、現二松学舎大学の創立者で三島中州である。…どうも大正天皇は歴史的評価低いようだが、違う認識をこの本は与えてくれそうである。

まだ出て間もない文庫本であり、完読していないので、本書の骨子と私の感想は次の機会としたい。少し重いけれど、なかなか読みごたえがあるノンフィクションである。

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