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前述のテルトゥリアヌスはラテン語を使う神学者であり、ギリシア語が不得意で、よくわからなかったからギリシアや東方教会の精緻な議論は救済とは関係のない空理空論のように思えたらしい。ラテン語の神学では、法的な考えが強くなった。救いの確実性がローマ法的な形態で整理され、「教会法」が整備される方向に向かった。東方教会が神学的な議論が深化していく中で、西方教会は知的には弱かったといえる。プロテスタンティズムは、この神学的には弱い西方教会を継承し、なおかつカトリックの精緻なスコラ哲学に対する反発から宗教改革が起きたので、神学的にはなおさら弱い。(P76)
ドイツの神学者ヨハン・ゲルハルトによる”プロテスタント・スコラ”はあるものの、日本には殆ど入らず、そこに自由主義神学(ヨハン・ゲルハルトの正統主義に対し、聖書・教会・伝統といったものによらず、信仰の実在、人間の主体的な判断によって神学を探求する近代神学と呼ばれる。シュライエルマッハーが代表的)、さらに弁証法神学(カール・バルトによる神学運動で、危機神学とも呼ばれる。神の絶対的超越性、神と人との断絶を主張し両者の弁証法的関係から信仰が始まると説く。)が入ってきている、スコラ的なものをそもそも知らない。ましてや東方教会の精緻なカルケドン派の様々な議論や著名な神学者・ダマスコのヨハネによって集大成された『受肉論』などを知らないので、(プロテスタント神学は)神学的な議論には弱い。(P76-7)
神学的な議論が深化するのは、ロシア革命で神学者たちが強制追放あるいは自発的に亡命したことで、パリやNYで東方神学が翻訳されてからのこと。20世紀以後西方の神学研究のレベルが上がった。キリスト教をトータルに理解するには、東方教会の知識は死活的に重要だが、かなり難しい。現在においては、ギリシアではなく、ロシアとルーマニアの正教会の知的レベルが高い。(P77-8)
…このカトリックと正教会の神学的な伝統の差や、プロテスタント神学の現状については、実に興味深い指摘である。これで、やっと第1日目の講義内容が終了した。



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