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キリスト教では、人間の救済が基本的な目的なので学知の構成には関心がなかった。ところが終末が遅延していくことによって、キリスト教がどういうものか、他者に対して説明せざるを得なくなり、ギリシア哲学の形式を借りた。これが神学の誕生。その時に、動的なる神と静的なるロゴスが結婚したのだが、木に竹を接ぐ不調和があった。哲学と結びついた神学は完成しない。しかも神が変容していくにしたがって歴史も変化するので、服の流行が変わるように、哲学も変わる。すなわち、その時代、時代の服である哲学の形で神学を表現しなくてはいけないのである。(P62-3)
…神学というものの特徴を見事に表していると思う。たとえば、バルト神学は、WWⅠの悲惨さや弁証法哲学を受けて構成されているといえる。
(西洋哲学な思考のの根本である)「対象」は東洋的ではない。合掌をする時、右手と左手のどちらが主体でどつらが客体?どちらが押して、どちらが押されているか?この説明ができないから、主客は同一化し、不二の関係にある。この合掌は、シンボリックに対象という考え方を否定するものである。(P63)
…この合掌にシンボリックされた主客同一・不二は、まさに仏教的な思想で、西田哲学に大きく取り上げられた。この譬は、もしまた仏教思想をやる機会があれば使わせてもらおうと思ったのだった。
(変化するものはあるとは言えないとした)パルメニデスは、エレナ学派の創始者であるが、このエレナは静かな土地で、人がほとんど来ないところ。それに対して(万物は流転すると説いた)ヘラクレイトスのいたエフェクスは交通の要所であった。(P65)
…この2人の出身地のエピソード、高校倫理の資料種にも出てこない。実に面白いと思うのだが…。
「ビュリダンのロバ」という中世の重要な命題。全く同じ餌が2つ、ロバの近くにある。前に置くとロバはその同じ餌のどちらを選択してよいかわからないので結局飢え死にする、という話。実際にはロバはどちらかを選択すが、マシな方を選ぶ判断をするわけで、全く同じものは2つ存在しないということになる。(P66)
…この「ビュリダンのロバ」という中世の重要な命題は、理性的判断を揶揄し、自由意志の必要性を重んじるという話であるらしい。



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