2026年1月26日月曜日

オーソドックスの教材研究Ⅲ

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『東方キリスト教の世界』(森安達也著)の備忘録的なエントリーの続編。正教会における重要な視点の1つであると思われる神秘主義について。

前回のエントリーで、ビザンツ帝国では「皇帝教皇主義」下の政治的理由で、修道士が総主教になっていく過程が明かされたのだが、この修道士は、パイディア(ギリシャ哲学的教養)を軽視した。厳しい修行と禁欲生活を身に課して、彼らが求めた自己完成とは、限りなく神に近づくことであったので、パイディアは信仰の妨げと映ったのである。異端とされた単性論の影響は東方では根強く、キリストの神性を重視し、共住する修道院より隠修士の方が高度な修行形態であるという認識も強かった。テオドロス(イコンを養護した首都の修道院長)は、こういう状況(独善的・異端的になる恐れ)を危惧していたのだが、神秘主義(へシュカスモス:静寂主義)のシュメオンは「神の光に照らされると聖なる人は完全に聖霊とともに燃焼し、その中で自己の神格化の神秘を予期しうる。」と言った。この神秘主義の是非は、14世紀には大きな論争を生んだ。結局、この神秘思想はビザンツ教会の正統の教えとして認めらることになったのである。

…「東方」は、カトリックの西ヨーロッパとは大きく異なる点がある。それは、アジアの様々な宗教との関わりである。この神秘主義は、ユダヤ教のカバラ(画像参照)、イスラムのスーフィズム、ヒンドゥーのヨーガ、仏教の禅など、神あるいは宇宙の法・仏性との合一といった面がある。この影響を東方正教会は受けたといえるだろう。極めて重要な特徴であると思われる。

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