2019年2月6日水曜日

佐藤優 サバイバル宗教論3

カバラの生命の樹
http://rimaroom.jugem.jp/?eid=1763
先日からのプロブレムの完全決着もついたことだし、佐藤優の「サバイバル宗教論」の備忘録エントリーの続きである。今日は人文系や社会学・芸術学を受験する学生向けに書きたい。この本の第2講は「(宗教における)救済」について講じているのだが、「啓蒙主義」と「ロマン主義」について記しておきたい。

西洋的なものの見方で重要なのは「啓蒙主義」と「ロマン主義」である。理性でものを見るというのは、古代(ギリシア・ローマ以後)からあった。しかし「A=B、B=Cならば、A=C」という考え方は、どんな愚かな人間でも認めることが出来る。しかし「神を知る」「神を見る」というのは瞬間芸で、近代以前は(キリスト教神学の影響下で)こちらが正しかった。17世紀の終わり頃にふと人間はこの見方に疑問をもち、理性を再発見する。(デカルトやベーコンなど近代哲学の始まり)暗い部屋の中で、ロウソク(理性)を1本立て、さらに2本3本と増やしていけば、それまで見えなかったものが見えるようになる、というのが啓蒙主義(徹底した合理的精神で、伝統的権威や旧来の思想を批判した。フランス革命の基盤ともなった。)である。しかし、これに反発する思想が生まれる。それがロマン主義で、ロウソクの影の部分に関心をもったわけだ。ロマン主義は、18世紀から19世紀にかけて芸術(美術や音楽、文学など)を中心とした思潮運動で、感情・個性・自由などを尊重し、自然との一体感、神秘的な体験、無限なものへの憧憬を重視した。

面白いのは、アメリカにはロマン主義の歴史的経験がない。だから目に見えないものをわからろうとしないところがある。アメリカの思想はプラグマティズムで、超現実主義、実用主義的である。WWⅡで、この思想が物量的な優位を生み、勝利を呼んだわけだ。ところで、啓蒙主義には影ある。これを有名にしたのは、ホルクハイマーやアドルノのフランクフルト学派で、WWⅡの経験を元に、なぜ啓蒙は野蛮に陥ったのか?(民主主義の産んだナチズムが、道具的理性で虐殺を推進したのか?)を問いかけた。その結論は、啓蒙主義が光の部分を増やしすぎた故、闇の領域も増えたのだというものだった。この考え方は決して新しい物ではなく、ユダヤ教のカバラ思想にたどりつく。(フランクフルト学派の彼らもユダヤ人である。)カバラは闇を見つめる。フロイドやユングの分析心理学もカバラの影響が大きい。

…どうだろうか?日本語が難しいので、かなり難解だとは思うが、ある程度の哲学・宗教学の知識と歴史の知識はこれまで講じてあるのでなんとか読解できるだろうと思う。何かを学ぶと、未知の領域に接する。そこからまた新たな知への門が開かれていく。それがやがて頭の中で結びついていく。勉強というのは、そういうもんだ。

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