2019年2月2日土曜日

佐藤優 サバイバル宗教論2

https://wondertrip.jp/history/93723.html/3
佐藤優の「サバイバル宗教論」の第1章の備忘録のつづきである。「危機」という概念は、西欧的な概念であるそうだ。ラテン語で「コルプス・クリスチアヌム」という概念がある「キリストの体(キリスト教共同体)」と訳すが、ユダヤ・キリスト教の一神教原理、ギリシア古典哲学の原理、ローマ法の原理の3つが合わさって一つの文化をつくっている。これに対して、ロシアやギリシアも同じ概念をもっているが、ローマ法の伝統が希薄である。合意したことは守る、という当たり前のように思われていることはローマ法の伝統である。ギリシア古典劇などでは、「たしかに口では誓ったが、心は誓いにとらわれてはおらぬ。」などという台詞が出てくるわけだ。

このローマ法的な部分が「危機」にさらされている。古くは、チェコの宗教改革者・フス(そもそも佐藤優の専門領域である。)の処刑の際も「合意は拘束する」という原則が破られる。さらに、この書物が書かれた当時の民主党政権の菅直人・鳩山由紀夫の原則破りなどが例として挙げられ、このような今までにない論理が登場していることは「危機」と関係しているが、宗教の領域まで入り込まないとおそらく理解できないと内在的な論理はわからない。

…なるほど。最近とみに「合意は拘束する」ということが、どんどん破壊されているようだ。日本人は、こういうことを嫌う。善悪という正義の判断ではなく、嫌うのだ。
日本の伝統は、「コルプス・クリスチアヌム」とは異なる。一神教的な、直線的な歴史観(始まりがあり終末がある)ではなく、仏教的な輪廻、あるいは縁起で構成された世界観をもつ。合理的なロゴスを重視するギリシア的概念よりは、多神教に裏打ちされた神秘的な情念やパトスを重んじる。ローマ法的な概念の代わりとなるのは、儒教的な倫理(多分に日本儒教と言ったほうがいいだろうが…)であろう。西洋とは全く異なる伝統を持ちつつも、欧米とは相互理解しながら歩んでいるわけだ。今更ながら日本の吸収力・咀嚼力は凄いと言わざるを得ない。

0 件のコメント:

コメントを投稿