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このローマ法的な部分が「危機」にさらされている。古くは、チェコの宗教改革者・フス(そもそも佐藤優の専門領域である。)の処刑の際も「合意は拘束する」という原則が破られる。さらに、この書物が書かれた当時の民主党政権の菅直人・鳩山由紀夫の原則破りなどが例として挙げられ、このような今までにない論理が登場していることは「危機」と関係しているが、宗教の領域まで入り込まないとおそらく理解できないと内在的な論理はわからない。
…なるほど。最近とみに「合意は拘束する」ということが、どんどん破壊されているようだ。日本人は、こういうことを嫌う。善悪という正義の判断ではなく、嫌うのだ。
日本の伝統は、「コルプス・クリスチアヌム」とは異なる。一神教的な、直線的な歴史観(始まりがあり終末がある)ではなく、仏教的な輪廻、あるいは縁起で構成された世界観をもつ。合理的なロゴスを重視するギリシア的概念よりは、多神教に裏打ちされた神秘的な情念やパトスを重んじる。ローマ法的な概念の代わりとなるのは、儒教的な倫理(多分に日本儒教と言ったほうがいいだろうが…)であろう。西洋とは全く異なる伝統を持ちつつも、欧米とは相互理解しながら歩んでいるわけだ。今更ながら日本の吸収力・咀嚼力は凄いと言わざるを得ない。
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