2012年9月8日土曜日

劇場のイドラと時任三郎

フランシス・ベーコン
1年生の現代社会では、今近代ヨーロッパ哲学史をやっている。早いクラスは、すでにデカルトの第一証明(有名な「我思う故に我あり」の方法的懐疑)、第二証明(神の存在証明)、第三証明(物体の存在証明)をやってる。高校の教科書では、第一証明で終わっている場合が多い。理由は簡単で、あとは難解だからだ。しかし、コギト(思惟する自我)と物体の存在という二元論を理解しなければ、スピノザやライプニッツに繋がらない。大陸合理論を語らないと、カントの先天的認識形式に繋がらないし、形而上学の復活をめざした道徳形而上学に繋がらない。で、物体の存在証明に不可欠な神の存在証明を避けるわけにはいかないわけだ。

うわー、難しくなった。(笑)でも倫理の教え子なら、なんとなく思い出すはず。(笑)大学へ行ってから役に立つ哲学史である。あまりセンター試験にはでない。(笑)でも必要不可欠という信念で30年以上教えている。

で、今日はそのデカルトの前の話。イギリス経験論のベーコンの話である。ベーコンは、面白い。実験や観察で帰納法的な認識を説いた最初の人物である。ベーコンにはセンター試験にも良く出る4つのイドラ論というのがある。この中でも、スコラ哲学をボロクソに批判した『劇場のイドラ』というのがある。「ウソの話を本当のように見せる」というイドラ(偏見)を破すという話だ。私は、いつも、このイドラを説明する時には、時任三郎の話を出す。

昔々、私が結婚した頃だから30年以上も前の話になる。妻と、なんとなくTVドラマを見ていた時のことだ。学園ドラマだった。学制服姿の背の高い男が出てきた。「うん?」妻に声をかけた。「なあ、こいつ、時任に似てる。」「え?あ、ホントや。」「声も時任そっくりやんけ。」(私と妻は高校時代3年間同じクラスの同窓生なのである。)最後に出演者のテロップが流れて、「時任三郎」とあったのだ。「えー、あいつ俳優になったんや。」と、2人で大騒ぎしたのだった。実は、俳優の時任三郎氏は私の高校時代、隣のクラスにいた。生徒会副会長で、私は文化祭実行委員長。いっしょに仮設ステージの上で前夜祭の司会をした仲である。時任三郎氏は、上半身裸で、16弦ギターを弾いていた。(ホントの話)体育祭の時は、木材工芸(現インテリアデザイン)科の応援団で、私も図案科の応援団をしていた。王将のギョーザを食べに行ったり、生徒会室で夜遅くまで語り合った仲なのである。彼が大阪芸大に進学後は疎遠になっていた。数年後、TVで急に再会したのだった。

当時、私はもう高校教師だった。同じ歳の彼が高校生の役をしていたわけだ。俳優という仕事はまさに、ウソを本当のように見せる仕事である。「劇場」のイドラとは、ベーコンもうまいことを言うと思っている。

ところで、昔は私が時任三郎の高校時代の友人だと生徒は知ると、大いに盛り上がったものだ。彼も、キャンディーズのスーちゃんや宮崎美子といった私の大好きな女性タレントと共演したりして腹立たしかったが、今年は「Drコト-でかしこい子供のおとうちゃんの漁師役だった。」と紹介するようになった。それなりに歳をとったよなあ、お互い。それが、ちょっと悲しい。(笑)

3 件のコメント:

  1. 実は時任さんの大ファンです!!!

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  2. Lily君へ。ほんまかいな。(笑)うちの奥さんの弟氏はバレー部で時任三郎の後輩でもある。その奥さんはマネージやーだった。まあ、なにかと縁が深いのである。(笑)

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  3. うちの母が、小さいころ時任氏を見たことがあるそうで、近所の人に「さぶちゃん」と呼ばれていたと言っていました

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