2015年12月8日火曜日

世の不安を食べて成長するモノ

日経の今朝の朝刊の「春秋」に、こんな一節があった。「世の中の不安を食べて成長するモノはなーんだ?、こんなナゾナゾを出されたらどう答えよう。正解は、排外主義とポピュリズムだ。」春秋は、この後予想通りフランスの選挙結果の話、米国の大統領選の話へと続いていく。「21世紀が訪れたころ、こうも世界が変調をきたすとどれだけの人が想像できただろう。」

…まさにその通りだと思う。昨日のエントリーで、同じ日経に載っていたジェフリー・サックス氏のオピニオンについて記したが、その横に『止められるか「近代の逆走」』と出した芹川洋一論説委員長のコラム(核心)があった。私は、ISを領域国民国家に対抗するモノという視点で見ていることを何度か主張しているが、このコラムは、同じ視点で論じられていた。

その論旨は、上記の画像(新聞に載っていたものをPPで作成してみた。)のように、現代の世界を、近代国家論で3つに区分したもの(クーパーモデル)である。プレモダン(前近代)にISをおき、モダン(国民国家)に中国やロシアをおき、ポストモダンに、国の主権よりも人権、軍事力よりも相互信頼が尊重され、国という枠組みを超えていくEUをおく。

このクーパーモデルが逆走している、と芹沢氏は説く。ISに対するフランスの行動は、ポストモダンではなく、近代国家そのものである。今回の事件はポストモダンの範囲拡大に待ったをかけたかたちである。そもそも中東世界から見れば、サイクスピコ協定で勝手に国境線を引いたことに今日の混乱のおおもとがあるわけで、プレ・ポストの近代論など無縁の話でしかない、と。一方、近代国家からポストモダンへの挑戦がある。ロシアのウクライナ介入、クリミア併合がそれにあたる。東アジアでも中国の南沙諸島問題。漢王朝時代の支配権を持ち出す中国の動きは、1648年のウェストファリア条約以前のプレの世界に放り込む動きともいえる。

現代は、この3つの世界が併存している。ポストモダン国家は再近代化し、近代国家は近代秩序からはみ出そうとし、プレ近代は国際秩序そのものを否定する、これを常態と見てニューモダン(新しい近代)と名づけてもいいのではないか。上手く管理し、近代の逆走を止めることを考えないと無秩序の淵に追いやられる。これが、芹沢氏の結論である。

…このニューモダンの不安が、排外主義とポピュリズムとなり、近代を逆走させているわけだ。今日の春秋のナゾナゾの最終回答は、昨日のこの『核心』の中にある。

http://www.nikkei.com/article/DGXKZO94887170Y5A201C1MM8000/

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