2025年8月14日木曜日

プラトンから一気にヘーゲルへ

「伝授!哲学の極意! ー本質から考えるということはどういうことかー」(竹田青嗣・苫野一徳著/河出新書)の書評第6回目。

プラトンの「善のイデア」(よく生きること)から、一気にヘーゲルに進む苫野氏の言が、私を驚愕に導いた。もちろん、師である竹田氏の論の内容である。ヘーゲルの言う「人間的欲望の本質は自由である。」とは、人間は、誰もが「自由」に、つまり生きたいように生きたいと欲望してしまう、だからこそ、その「自由」をめぐって争ったり、無様にあがいたりする。ヘーゲルは、「自由の相互承認」を説き、自由を好き放題に主張していても、決して自由になることはできず、他者と争いになる、ひどい場合は戦争になる。よって、もし自由で平和に生きたいのであれば、まず互いの自由を認め合う約束をするしかない。苫野氏は、この近代民主主義社会の根本原理であり、2500年におよぶ哲学史における叡智中の叡智だと考えている、と。

…ヘーゲルは近代哲学の完成者だと高校の倫理では教える。前述の「西洋哲学の木」では、カントの実践理性→フィヒテの絶対的自我→シェリングの絶対者→ヘーゲルの絶対精神というドイツ観念論の流れの中でまず教えてきた。絶対精神は、弁証法的に歴史を動かす、その本質は理性であるというのが一般的であるのだが、理性の狡知として、自由を拡大する歴史(1人だけ自由な専制政治から、複数が自由な貴族政治、ナポレオンの功績としてもっと多くが自由になる近代市民社会といった構造)などにも触れる。

…本書を読んで、今までヘーゲルは難解で高校生に理解が難しいという前提で浅く教えてきたことを恥じる次第。もし倫理をまた教える機会があれば、この「人間的欲望の本質は自由である。」と、絶対精神の関連性、理性の狡知、さらに人倫へとヘーゲルの近代市民社会への箴言についても語ることになるだろう。

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