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プラトンは、『ゴルギアス』の中でカリクレスという人物を登場させて、この上記の「現実の論理」を体現させている。ヘーゲルは、これを「現実の法則」と呼んでいるが、同じく「自由の相互承認」を哲学原理として受け入れている。ホッブズ、ルソー、ヘーゲルとリレーされた社会原理は200年くらいかかって、近代社会を作り上げ、歴史を変えたといえる。現実に対抗し、現実を動かす原理を持った哲学と、理想や希望だけで原理を持たない哲学がある。哲学を原理の学として理解しない人は、まさしくこの区別をつけることができないと、竹田氏は断言する。
ここから、ホッブズとルソー(本日の画像参照)について述べられている。ホッブズは「不信」(竹田氏によると相互不安)によって、戦争から逃れられなくなった、とする。すると、戦争阻止の原理は、この相互不安を抑えることになる。よって、強力な統治、強力な国家の成立が根本原理となる。これが近代社会の設計図の出発点になっているわけだ。
ルソーの「一般意志」は、法や権力はどうあれば良いのか、その道標、灯台になる原理である。みんなの利益になる合意を目指す以外に法や権力の正当性はどこにるのかと問うても代案は出せまい。この原理を手放したら権力者や金持ちの特殊意思が好き放題をするに違いない。ルソーはホッブズの考えに賛成ではなかった。ルソーは統治やルールは大嫌いである。しかし、『社会契約論』では、ホッブズの統治の必要性を受け入れ、統治権力を維持し、かつ人々が自由になるような原理として、社会契約と一般意志を提示した。
マルクス主義や現代思想では、国家は人間支配の根源で、解体することで支配がなくなるという考えが根強くあった。しかしアラブの春後の中東諸国を始め、歴史的にもいたるところで統治権力なしにそもそも社会が存在しない反国家、反権力は哲学的には素朴な誤りで、ヘーゲルの言い方だと「表象の誤謬」。ルソーの見出した、暴力を制圧する正当な国家や権力をいかに創るかが重要だといえるわけである。
…社会契約論は、倫理でも政治経済でも登場する。ホッブズ・ロック・ルソーの三者を対比しながら教えるのだが、本書の示唆はすばらしい。その根幹を近代社会論をもとに見事に描いてくれている。ここで、ふと「憲法」について思索することになった。アメリカの憲法は、ジェファーソンが権力の制限を意識して作ったことは有名である。日本国憲法もその延長線上にある。まさに、本日のテーマである「現実を動かす可能性の原理でなければ意味がない。」という意味では、ルソーの功績は極めて大きい。
…ところで、ルソーは偉大な哲学者かもしれないが、人間としては問題がある。教育論・エミールは超有名だが、自分の私生児を認知していない。こういう功績と人間性にギャップがある例は多く、ギャンブル狂だったドストエフスキーや、傲慢そのものだったトルストイ、さらには借金踏み倒しの野口英世などが挙げられる。まあ、ニーチェも、かな…。
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