膨大な理論と歴史をもつ仏教哲学だが、竹田氏は「原理」の方法はあまり発展しなかった。その理由は宗教の要素つまり「物語」(輪廻・業・解脱といった宗教的世界観)が大きな前提になっている故だとする。仏教哲学の根本動機は人間の救済や解脱であり、世界の正しい認識ではないとしている。
苫野氏は、意外に仏教哲学に親近感を抱いているようで、初期仏教の諸行無常・諸法無我の法印のあらゆるものには実体はないとするシンプルさには説得力があるとし、天台の「一念三千」や華厳の「事事無疑法界」という壮大に積み上げられたある種の形而上学的理説世界観には感銘を受けている。ただ、どの説が正しいかは、ほとんど好みの問題になってしまう。(天台が勝利した)教相判釈(南三北七と言われた当時の中国各教派が論争した)は、諸説乱立として理解しているそうだ。よって、原理のリレーというよりは、種々の形而上学的=宗教的世界像の打ち出し合いという印象であるとのこと。
…仏教哲学は、私の専門と言ってもよいので、少し違和感を感じた。西洋哲学の立場から見るとそうなるのだろうが、もう少し、龍樹の中論(後に竹田氏はまじめな相対主義と評しているのだが)、世親の唯識、馬鳴の如来蔵と続く大乗哲学について語ってほしかったところ。教相判釈でチャンピオンとなった法華経から、円融の三諦、一念三千論が導かれてくるわけで…。本書の本題ではないから当然ではあるが、少し残念。
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