2025年7月31日木曜日

アイル分家の「虎の皮」

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「恋するソマリア」(高野秀行/集英社)の書評の続きである。早稲田大学に学ぶソマリ人兄妹との約束を高野氏は果たすわけだが、まず兄の歯磨き用の木の棒は、ソマリランドの市場から少し離れた場所(木の棒専門店で)で手に入れる。1本日本円で約4円。

妹の方は、モガディシオに行ってからの話になる。ここで前述した氏族社会の話と絡んでくるのだ。実は、兄と妹は異母兄弟であったのだ。イスラム社会である故に珍しい話ではないのだが、ソマリ人ではそう多くはないらしい。しかも第一婦人(兄の母)と第二夫人(妹の母)は仲が良くなかったらしい。

高野氏のモガディシオのコーディネーターは、本書の表紙に写っているソマリ美人のモガディシオ支局長のハムディ嬢、22歳である。同じソマリ人でも、ソマリランドの方はイサック氏族ばかりで、陽気な反面、プライドが高く、体面を重視する。高野氏の表現では「東夷(あずまえびす)」あるいは「坂東武者」というイメージなのだが、モガディシオは様々な氏族が同居している町人の気安さがある。「都人(みやこびと)」は洒落が分かる。ただ、ソマリランドの独立を認めない。高野氏はこれには閉口したようだ。

兄妹の元スポーツ大臣の亡き父は、バスケットの名選手だったが、レール・シャベルという弱小氏族の出身。出世して、ハウェイ氏族の武闘派で知られるハバル・ギディル分家の(更に分家にあたる)アイル分家(武闘派中の武闘派らしい)の女性を娶った。早大生の兄はその長男である。さらに、レール・ハマル氏族(ポルトガル人との混血の子孫とも言われ肌が褐色で美男美女の氏族として名高い。モガディシオで最も古い氏族でもある。)の女性(妹の母)を娶った。兄妹は共にモガディシオに住んでいたが、数えるほどしか会ったことはなく、第一婦人との不仲が原因で第二夫人は離婚してしまったという。第一婦人は夫の死後、同じ氏族の男性と再婚、ケニアの難民キャンプに移り住み、第二婦人も同じ氏族の男性と再婚し、モガディシオに今も住んでいる。父の死後、議員となった叔父の努力で、兄妹は日本に来ているわけだ。

妹の自宅をハムディ嬢と支局員たちと訪れた高野氏は、イスラム社会らしい接待を受ける。当然ながら成人男子だけの食事で、女性は姿を見せない。妹宅には男性は学生の弟だけだが、まだ成人とみなされないので同席しなかった。しかしソマリでは男女の接触が許されている方で、中庭でビデオメッセージをもらい、母親から10kg超のボストンバッグ2つ分のお土産を預かった。

帰国後、早大生の妹は、お土産を渡すと「お母さん、やっぱりよくわかっているわ。」と馴染みのあるシャンプーや化粧品を見てそう言った。誰しも馴染みのあるものを使いたいのである。平和だろうと戦火の中に生きていようと関係ない。この高野氏の感想は実に深い。

さて、このハムディ嬢も第二夫人と同じ氏族・同じ分家(武闘派中の武闘派のアイル分家)出身である。政府軍もイスラム過激派アル・シャバブも共に中枢はアイル分家に抑えられているもっぱらの評判で、ジャーナリストであるハムディが首都の州知事と対立し激しい批判を加えても、手が出せないというわけだ。彼女は支局と(アル・シャバブ支配下地域の)家の往復は政府軍の前線を超え、ベールをして顔を隠し乗合バスに乗って平然と通っている。

さらに詳しく聞くと、彼女の父親は、ソマリア独裁政権時代、政府軍の大佐で通称「虎の皮」という異名で有名だったという。今はカルグドゥード州の街で隠居しているというが、高野氏の推測では、「戦国大名」のような存在ではないか、ということだ。だが、彼女は「私は家族とは関係なくやってきた、一人でやってきたのよ。」「目標は大統領になること。」そう言った彼女にとって、決して夢物語ではないと高野氏は思うのだった。

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