2018年2月4日日曜日

幕末バトル・ロワイヤル 4

歌川国芳は天保の改革時代の風刺で妖怪を描いた
http://s.webry.info/sp/mikmitti.at.webry.info/201106/article_7.html
「幕末バトル・ロワイヤル 」の書評の続きである。江戸幕府中枢は、意外に外交情報を長崎経由でオランダから得ていて、アヘン戦争の状況を知り愕然とする。外国船に対しての打払令を改め薪水令とすると水野忠邦は専断する。このバックには、海防掛の真田信濃守のブレインだった佐久間象山の進言があったそうだ。

さらに、英軍の長江封鎖の報を聞き、江戸湾を封鎖された場合に備え、利根川と江戸川をつなぐ物資補給ルート確保のための印旛沼掘削工事を開始する。天保14年には、江戸城最寄りの譜代大名や上層旗本の上知(あげち:領地を官有化すること)し、他に替地を与えるとした。さらに大坂周辺にも上知令が出される。江戸と大坂を幕府直轄とし、いざというときに指揮系統を統一しようとしたわけだ。これが水野忠邦を失脚に追い込む。

外患に対して、総論賛成・各論反対の世論を代表して紀州家が反対の声を上げる。同藩付家老が「当藩はいやしくも徳川御三家である。並みの大名とは格が違う。領分を召し上げられるいわれはない。国防のためと仰せになるのなら、この紀州家にお命じになればよろしい。自力で大坂でもどこでも立派に守ってみせよう。」と言い出し、水野忠邦だけでなく、大奥にも手を回し将軍家慶(いえよし)に反対論を吹き込んだ。これには水野も弱気になり、一気に政情は液化する。この紀州藩は以前の株仲間解散令で、船問屋に投資していた故に大損を被っていた。複雑な利害がからまりながら政局が動く。まさに一寸先は闇。水野忠邦は上知令を撤回し、解任される。上知令から129日目であった。

水野忠邦が老中を罷免されたという噂はあっという間に知れわたり、天保14年9月13日の深夜、西丸下の水野邸は江戸中から集まってきた夥しい数の群衆に取り囲まれた。誰からともなく石を投げ始め、ひっそりと静まった邸内に雨あられと降り注いだ。門前の番小屋も壊され、畳や障子、さらに家具まで壕の中に投げ込まれた。人出は数万に達したという。57年前の田沼意次の追放時を上回る騒ぎであったという。投石の現行犯で捕まった庶民の取り調べ記録から。「なぜお屋敷に石を投げたのじゃ?」「いいえ、石を投げた覚えはございません。意趣を返したのでございます。」

水鳥の浮き寝の夢のはかなくも覚めて驚く浜の松風。「浜」は水野忠邦の浜松藩を意味する落首である。

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