2014年11月27日木曜日

「アメリカニズム」の終焉を読むⅡ

http://matome.naver.jp/odai/2140849465241990001
昨日エントリーした「アメリカニズム」の終焉(佐伯啓思著/中公文庫)を読んでいて、示唆的な箇所に遭遇した。「アメリカの没落?」と題された章で、政治学者A・ハッカーがの『アメリカ時代の終わり』という書物の内容を紹介した箇所である。書かれたのは60年代末期である。少し引用したい。

第1に、現代(1960年代)のアメリカは巨大な株式会社組織の時代である。個人は生活や価値観を組織に依存しており、もはや独立した個人ではない。、これらの「組織人」は巨大な中間層であり大衆社会をつくりだした。

第2に、こうした「組織人」になれない「余分のアメリカ人」がいる。成功することにしか名誉を与えないアメリカでは、この経済的な敗者はほとんど社会から相手にされないことになる。

第3にアメリカ人の個人主義的、自由主義的な傾向は、政府に対する不信感をかもしだす。「アメリカ人はほとんどすべての政府機関を本質的に非合法なものとみなしている。」人々は新たに獲得した自由を権利とみなし、それと対照的に、公共的活動、政府の活動はそれをおびやかすものとみられる。しかも、政府は民間の人々の生活に責任をもたねばならないと考えられている。

第4に、アメリカには個性のイデオロギーとでも言うべきものがあって、個人主義、個人の能力や権力が強調される。しかし、実際には「大部分の人は平凡である。そして、平凡な人々は彼らが住んでいる時代や社会や環境にかかわりなく、どこまでも平凡である。」現代では人々は個性のイデオロギーに踊らされ、自分が非凡な何者かだと思いたがっている。個性にこだわりすぎた結果、誰もが、その個性が実現できないのは社会が悪いからだと考える。自分は社会によって不利益をこうむっていると考える。

第5に、デモクラシーの成果として、学問はどんどん凡庸なものになる。平凡な学者が恐れるのは他人から批判されることである。だから彼らは間違いを指摘されることのないことしかやらなくなるだろう。

著者の佐伯啓思は、このような状況はますます深刻化していると指摘し、アメリカでは、ただやみくもに自分の権利と利害ばかりに敏感で、政府の仕事に反対さえすれば個人の自由の拡大になると錯覚した自己中心主義者を作り上げてしまった、またデモクラシーは、凡庸であることがむしろ賞賛すべき社会的権利であるかのような精神を生み出してしまったと嘆く。問題なのは、精神なのだと。

このところミズーリ州の黒人青年が白人警官に射殺された事件から起こった暴動とその抗議デモの拡大のニュースが流れている。その事件の核心はよくわからない。だが、「第2」に書かれた人々にアフリカ系アメリカ人の問題がからんでいることは間違いがない。アフリカ系アメリカ人の未だに解決されないいらだちも理解できる。しかし、オバマ大統領が何の解決策も見せていないという批判が全米中でおこっているとの新聞記事もあった。こうしてみると、この5つの指摘、極めてあたっているといえるだろう。マスコミの凡庸さも含めての話だが…。

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