2014年11月13日木曜日

エボラ出血熱と構造的暴力

http://www3.nhk.or.jp/news/html
/20141112/k10013131911000.html
NYでエボラ出血熱にかかっていた医師が回復し退院したとのニュースがNHKで流れていた。現地で懸命な治療に関わっていた医師であるし、貴重な人材を救えたわけで、大いにめでたいことである。アメリカで治療を受けた9人中8人が回復したという。ドイツでも患者が回復したらしい。ところが、現地ではまだまだ拡大しているわけで、先進国でケアしたら回復するが、現地では厳しいのだという推測が十分なりたつ。

医療設備などを考えると、当然過ぎる話なのだが、こんなところにも構造的暴力があるのだ、と私は考えてしまう。どうにもならないほどの経済格差に、我々は気づかなければならないと思うのだ。

世界史Bでは、イラン革命から始まるイスラム原理主義にまつわる歴史を語っている。翌年のソ連のアフガン侵攻、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、そして「9.11」。聞くと、今の3年生は、「9.11」の時、5歳だったそうだ。彼らは、ライブでの「9.11」を知らない。

二極化から多極化、バクス・アメリカーナと、その崩壊。イスラム原理主義の欧米への反発の意味を最後に説こうと準備している。

最も基本的には、構造的暴力への反発だと私は思っている。あまりにあからさまな経済格差。「武器としての社会類型論」から見ると最も判りやすい。欧米の「上個人下共同体」というギリシア以来の社会類型はキリスト教によって補完され、現在は、ほとんどの先進国の国民は、労働者も含めて「上個人」として、富と自由を手にしている。この類型は、搾取すべき「下共同体」、昔は奴隷であったわけだが、現在は非欧米諸国・開発途上国になっていると言ってよい。

イスラム社会は、(ユダヤの律法に比べて極めて)コンパクトな神の掟に従う「掟社会」である。たとえ、カリフや国王といえど、神の前では平等である。だからこそ「喜捨(ザカート)」が五行に入っているわけだ。イスラム原理主義の人々の味方をするわけではないが、異文化理解を重視する地球市民としては、こういう理解の方法があるということを生徒に伝えたいと思っている。

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