2013年10月17日木曜日

毎日 「あまちゃん」批評を読む2

恐竜の骨を見て驚く勉さん
毎日の夕刊に連続して「あまちゃん」の批評が掲載された。斎藤環氏の「東北」というコラムである。斎藤氏の論点は、ヒロインのアキは空虚な中心であり触媒なのだということだ。朝ドラの中心でありながら結婚も出産もせず、あえていえば「成長」もしない。にもかかわらず周囲の人々を変えていく存在。

このドラマにはまともな家族が出てこないと斎藤氏は言う。弱くてダメな人間像。しかし、だからこそ希望がある。恐竜の化石発見という意表を突くラストは「何が起こるか分からない」という真の意味での希望を与えてくれたのだと言うわけだ。アイドルとは、そんな空虚な日常をつないで続けてくれる象徴かもしれないと…。

一方、東北(久慈市:ドラマでは北三陸市)出身の斎藤氏は、震災の描き方にもふれている。これは私も思ったことだが、被災シーンは直接描かれず、東京での揺れと、トンネル内で列車が停止するシーン、破壊されたジオラマだけで表現され、演出のテクニック以前に細やかな「配慮」が嬉しかったと書かれている。被災地の表現では「向き合う」と「押しつける」が常にせめぎ合うのが通常だが、さらりとしたバランス感覚が絶妙だったと斎藤氏。

だからこそ、「あまちゃん」を語る人々は、みんな同じ目線になる。誰の感想が正しいとか、誰ん深読みが凄いとか、あっちのドラマと比べてどうとか、割とどうでもよくなる風通しの良さがあった。視聴者を参加させて、共同作業で一つの空気を作って行くような連帯感があったのだという。

…空虚な中心としてのヒロインがつないだ日常の希望。さらに視聴者も参加したこの「空気」こそが、「あまちゃん」の魅力だというわけだ。なかなか面白い。いろいろな批評があるんだよなあ。

<画像は昨日同様、以下のブログより。>
http://ottsan.blog.so-net.ne.jp/2013-09-28-6

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