2022年5月16日月曜日

スーパー弁護士 花井卓蔵

https://www.sankeibiz.jp/
compliance/news/140403/cp
d1404032218010-n1.htm
星新一の「明治人物史」が面白い。今朝の通勤時間は「花井卓蔵」を読んでいた。もちろん初めて聞く名である。話は、明治一代女で有名な「花井お梅」から始まるが、同じ苗字ながら何の関係もない。唯一関係あるとしたら、花井卓蔵は、大弁護士で刑事事件の第一任者であることか。たしかに、凄い人物である。星新一のと父・星一との関係は、星製薬の冤罪裁判に関わり、冤罪を晴らしてくれた弁護士(後半は息子の忠)なのである。

明治18年、英吉利法律学校(中央大学の前身)に入学。自然発生的な特待生といったカタチの苦学生で、後母校に巨額の寄付をしている。憲法発布の翌年の23年、代言人(後の弁護士)試験に合格。明治31年、30歳の若さで郷里の広島で代議士に当選。だが、党派に属さず人権の養護と憲政のあり方について発言し続けた唯一の存在である。明治33年、かの足尾銅山事件の弁護を行っている。一時期政党政治のくだらなさに立候補を中止したが、翌年日露戦争時の解散を受けて再び出馬。国士である。ポーツマス講和条約への日比谷国民大会(数万の人が集まり、焼き討ち事件を起こした)を主催した代議士河野広中を弁護、「大会が開かれなかったらあの暴動は起こらなかった。主催者だった被告はその結果の責任をとらなかればならない。」という検事の主張に、「いや、一犬虚に吠え、万犬実を伝えた場合、吠えた犬は他の万犬の責任まで引き受けなければならない理由はない。」と看破したという。

すごい勉強家で、かなり個人的に論文も発表していたが、弁護士として名を上げるとともに、法学博士の学位を42年に受ける。それまで官学の出身者に限られていたが、法学博士会のほとんど全員の賛成・推挙によるものであった。

幸徳秋水の大逆事件、シーメンス事件の弁護も行っており、大正4年には大政党に属さないのに衆議院副議長に推され二期務めている。ある地元の銀行の倒産事件で親戚の弁護を行ったが、商行為の失敗が無罪となり批判の声が上がった。一人の人権を守るために、22年にわたった議員生活をあきらめる。星新一は、このことが最も感嘆させられたと書いている。弁護を断るか他人にまかせるかすればいいと知りながら、あえて自己の職務に忠実に生きる、これがスーパー弁護士・花井卓蔵なのである。

大正11年、貴族院議員に任ぜられた。法制局長官、司法大臣、中央大学学長の就任は全て固辞。これまでの法律改正につくしたことに勲一等瑞宝章。官職についていないので位階なしという極めて珍しい例となった。昭和4年弁護士会を退会(=弁護士業を辞める)。

私が最も感銘を受け、彼のことをエントリーしようと思ったのは、次の記述による。「憲政有終の美には、普通選挙の実子や貴族院の改革も重要ですが、最大の問題点は、天皇を輔弼する内閣の責任についてです。現在は、軍機軍令に対しては、陸海軍大臣のみ補筆の責任を持っている。軍艦系の制度、予算に関しては内閣は口を出せない。これでは立憲政治とは言えない…」内閣官制の第7条を改正し、陸海軍の大臣の特別扱いをやめ、総理大臣の監督下に置くべきであると主張し、軍部大臣の文官制を考慮するとの答弁を引きだしている。そして、「…統帥権に関する補筆責任という問題は、憲政実施以来ずっと不明確で、いずれは重大な暗礁となりかねない。」と結んでいる。花井は反軍的な人ではない。同調する議員がもっと出てくれば、その後の日本の悲劇は避けられたかもしれない。

…大日本帝国憲法の最大のポイントを突いている。こういう人物がいたのだという感激。これは一大予言となり、5年後の昭和5年、ロンドン海軍軍縮条約に関して、統帥権問題で国論が分裂。浜口雄幸首相が狙撃されるのでさる。軍部独裁が始まっていく。花井は、統帥権の末路を見ることなく昭和6年に死去した。

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