2015年1月11日日曜日

伊藤博文と二人の「井上」

長州ファイブ
先日、NHKの歴史秘話で、伊藤博文と井上馨の話をやっていた。大河ドラマの番宣がらみだと思うが、今年はNHKは長州に力を入れるんだろう。伊藤博文という人は、松下村塾では、桂小五郎や久坂玄瑞、高杉晋作の下にあって、イギリス公使館焼き討ちや吉田松陰の刑死後遺体を運び出したりと、いわば実働部隊的役割を担ってきた。井上馨とイギリスに渡って、半年で帰ってきたことも知っていた。TVでは、井上馨が鬱勃たるパトスもってイギリス行を主張。伊藤の提案を受けてイギリス行の渡航費用(5人分)を藩から得たとなっていたが、藩の留守役であった大村益次郎を半ば脅迫して志を遂げたらしい。

どうも井上馨には、そういう無茶な意思を通すパトスがかなり強い。だいたいが、長州人の気質なのかもしれない。高杉しかり、久坂しかり。脅迫された大村益次郎も戊辰戦争では、西郷相手に大いに我を通した。下関戦争にあたって、半年で伊藤とともに帰国するのも凄い決断である。この時の決断が、その後の高杉の元での活躍もあって、維新後の二人を政治家として底上げさせるわけだ。井上馨の感はするどいが、英国行のような金への無頓着さは、後に西郷に「三井の番頭」と呼ばれるほどになる。この辺も長州人の気質なのかもしれない。薩摩人とはかなり違う。

政治家としては、「(吉田松陰に)周旋の才あり」と言われた伊藤博文が、桂、大久保といった大物に重用され、憲法を作り初代首相となるので、井上馨より出自身分は低かったが、大成したと見るのが妥当だろうが、井上馨について調べてみると、毀誉褒貶はあるが伊藤博文の盟友として、しんどい仕事をいくつもひきうけている。TVで何度も主張されていた出自を超えた二人のの友情は本物であったと思う。

井上毅
ところで、「明治天皇という人」(松本健一著・新潮文庫)を読み進めていくと、伊藤博文にとってもう一人の重要な井上が出てくる。井上毅である。井上毅は熊本の出身であり、開成学校に学んだ官僚である。大久保、岩倉、伊藤に重用され、教育勅語・大日本帝国憲法などの制定に携わり、明治国家のグランドデザインを伊藤とともに描いている。松本健一氏は、半藤一利氏らと文藝春秋誌上で「代表的日本人100人」を選ぶ際、この井上毅を強く推したという。この明治国家のグランドデザインについては、別にエントリーするとして、伊藤は井上毅の能力を極めて高く評価していたようだ。

グランドデザイン作成には井上馨は出てこない。それどころか、井上同士で争うこともあった。不平等条約改正時に治外法権撤廃を実現するために外国人裁判官を任用するしないで、外相だった井上馨と法制局長官だった井上毀が対立、結局、憲法草案作成中故に、馨が辞任することになる。このへんの井上馨の進退、伊藤との友情を重んじた男の美学を感じる次第。私としては、「三井の番頭さん」を見直すところだ。

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