2025年11月6日木曜日

誤読と暴走の日本思想 7 和辻

久々に『誤読と暴走の日本思想』(鈴木隆美著)の書評の続きである。本日は私の好きな和辻哲郎。

東北大学の外国人講師であったユダヤ人・カール・レーヴィットが日本で発表した『ヨーロッパのニヒリズム』の中で、「日本の哲学者は二階建ての家に住んでおり、二階ではギリシャから現代に至るまでの諸学説を並べながら、一階では相変わらず日本的に考えたり、感じたりしている。そして外国から来たものには、一階と二階をつなぐ階段がどこにあるのか容易に発見できない。」と述べている。和辻哲郎は、この文章を引用し、賛同しつつ、この二階と一階をつなぐ階段を、「風土」「間柄」などの概念で作ろうとしたといえる、と著者は述べている。

和辻の「風土」も「間柄」も日本語文化圏的な発想の中で語られているので、非常にわかりやすい。ただ、「風土」では、現象学的・ハイデッガー的分析を行い、かなり強引な文化的接ぎ木を行っている。

また『日本精神史研究』で、本居宣長の源氏物語から抽出された「もののあはれ」を分析しているのだが、イデアリズムの訳語である理想主義や、内在、純化、理念という明治以降の翻訳後、さらにはSein Sollenといったドイツ語まで使っている。西洋哲学的な発想のもとの分析である。これは、和辻哲郎の代表作・『倫理学』でも同様で、その構成は、ヘーゲルの法哲学の「人倫」の構成を真似ている。しかし、ヨーロッパの個人主義を過剰に扱われすぎだと”ちゃぶ台返し”をしている。この辺が西田幾多郎との共通点でもある。

…このように、和辻哲郎は、ハイデッガーやヘーゲルの影響を受けつつ、一階での日本文化圏からの階段を作ろうとしたのであった。私は、和辻哲郎の思想はわかりやすくて好きである。仏教や東洋思想、国学など様々な視点と、西洋哲学が接ぎ木され、見事な誤訳・暴走であることは、著者と同様、あっぱれと言うべきであると思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿