中沢新一は、ざっくり言ってしまうと、ネパールでチベット密教の修行をして、これをポストモダン思想で読み解くという、アクロバットのような思想を展開したのだが、タイトルは『チベットのモーツァルト』である。これは、ジュリア・クリスティヴァ(ブルガリア生のフランスの女性文学理論家)の表現で、彼のパートナー・フィリップ・ソレルスの『H』という小説を称える言葉で、その官能的な文体の音楽性を讃えるために「チベットのモーツアルトのような」と表現した。中沢は、このノロケとも取られない表現をあえて字面通り真面目に受け取り、チベット密教と神秘体験とつなげたようだ。『チベットのモーツァルト』には、次のようにある。
「ぼくは、この言葉(チベットのモーツアルト)に、ゴタール(フランスの映画監督)風の東風趣味とともに、クリスティヴァの意図を超えていく思想実験の意思のようなものを込めようとした。ぼくは、『純粋理性批判』の引力圏内(カントの理性的近代哲学の圏内=西洋哲学の圏内)にとどまっているクリスティヴァのような人が、何の説明も用意しておらず、また何らの語彙も持ち合わせていない意識状態にたどりついてみたいと思った。仏教的伝統が空とか無とか呼んでいるそのような解き放たれた意識状態にたどりついて、そこから自分と自分のまわりの世界をよりよく知りたいと思った。意識のヘルメス的変成(紀元前からあるオカルト:フランス文学や哲学でよくある表現)をめざすモーツアルトになること、錬金術師としてのモーツァルトになること、そしてその時ぼくが選びとったのが、意識のヘルメス的変成をもたらすためのチベットの技術だったのである。」
…四捨五入すれば70となった今となっては、理解できないこともないが、学生時代の私には難解にすぎる文章である。
著者によれば、ドゥルーズ、レヴィ=ストロース、バタイユ、クリスティヴァといったフランス思想が中沢のバックボーンで、人類学者として修行の体験をフランス思想で語ってみせた。これらの知の技法は、アナーキーなドゥルーズでさえ、アンチを突きつけているのはフランス、せいぜいヨーロッパの知的状況なわけで、その文脈から引っペ返し、チベット密教に応用して、かつそれを日本語言語文化の中にねじ込んだとしている。西田哲学の禅から導かれた「純粋経験」のようなものをドゥルーズ的な「差異」「生成変化」「多様体」といったタームへと接ぎ木していくのである。また、ドゥルーズとは全く交わらないデリダの「脱構築」とも繋げている。西田が、ヘーゲルの有の弁証法を無の弁証法に書き換え、ベルグソンやジェームズなど互いに相容れないヨーロッパの近代思想を仏教思想に接ぎ木したのとほぼ同じというわけである。
…以上が、およその著者の中沢新一の論評である。著者自身は以前中沢のファンであったことを自認していながらも、クールに論評している。たしかに興味深い論評であった。



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