2012年2月28日火曜日

昭和天皇 第三部 読後メモ

文春文庫の福田裕也「昭和天皇」第三部を読み終えた。いやあ、暗かった。これが第一印象である。昭和初期の経済不況による暗さが、昭和の始まりから血盟団事件までのこの巻に鬱積しているといってよい。例によって、様々な視点から昭和天皇とその時代を詳細に描いている。今回のエントリーも印象に残った箇所をメモしておきたい。

天皇は、四方拝を始めとした神事を行っていることは有名だ。私は長い間、新嘗祭にまつわる農事もその延長線上にあると思っていたが、天皇が田植えや稲刈りを行うということは、昭和からのことだった。侍従次長(当時の皇太后付)の河井弥八が提案したものらしい。豪農の生まれで内務省に入った人物だが、その父は地元農民の利益を訴え続けた人物で田中正造が1カ月泊まりがけで応援演説をしたという。当時、皇太后は、昭和天皇の家族的な皇室改革(女官制度をなくしたこと)に対し、批判的で、皇太后と天皇の対立をさける意味合いもあって、牧野伸顕内大臣も賛成した。もとより、生物学者であった昭和天皇は喜ばれたし、明治以来(最重要輸出品である)養蚕を続けてきた皇太后も喜んだわけだ。(この養蚕・絹布を織りあげることは皇后によって今も続いているという。)初めての田植えは、昭和2年6月14日午後1時30分のことであった。

F・ルーズベルトが、ニューヨーク州知事に立候補することになった理由の話。共和党のフーヴァーと闘う民主党の大統領候補アルフレッド・スミスが、同日選だったニューヨーク州知事選にF・ルーズベルトを担ぎ出すのである。このスミス、アイリッシュでカトリックで不利だっただったのだ。その担ぎ出し方が凄い。秘書との愛人問題で離婚の危機にあった妻のエリノアに頼むのだ。離婚しないでほしいという義母と参謀のハウに懇願され妻の座にいるだけだったエリノアがYESと言えば出馬することになると。大統領候補は、ルーズベルト家の事情を読み切っていたのである。

ご成婚7周年にあたって、昭和天皇は恐慌下にあることから一切の祝賀行事を止めさせた。しかしごく内輪の内宴を行う。女官や侍従が模擬店を出して興じるというもので、武官はうどん屋を出した。この時、不器用な手つきで、うどんを茹でていたのは、終戦時の陸相で切腹した阿南惟幾であった。(ちなみに彼の息子が、以前駐日大使になっていたのにはびっくりした記憶がある。)

三月事件、十月事件が挫折した後、陸軍大尉だった秩父宮(昭和天皇の次弟にあたる)が、参内し昭和天皇に「御親政が必要です。」と言ったらしい。「必要とあれば憲法を停止していただきたく存じます。」天皇親政のもと、憲法を停止し財閥の活動を抑制し、農民の生活を向上させ、産業を労働者本位に振興して、庶民生活の基盤を整えていただきたい、と訴えた。昭和天皇は声を高くして、「宮は何を学んできたのか。憲法停止などと口にする軍人がいるとは、朕は想像したこともなかった。汝は皇族ではないか。皇族たる身分の本分、帝国軍人たることの責任を全く学んでいないのではないか。明治さまが定められ、守り育ててきた憲法を停止するなどと。」「陛下、帝国軍人と仰りますが、その内実は空(から)も同然です。兵の、その家族の窮状は言語を越えております。在営中に姉が、妹が、酌婦、芸者に売られてしまう。そのような地獄を味わった兵に国のために死ねというほどの偽善、欺瞞はありますでしょうか。」…やり取りは激烈であった。明治維新以来、有力な皇族同士が、ここまでもはげしく議論したためしはなかった。それはまた国論の分裂と迷走を象徴するものだった。

…この第三章も、様々な人物の名前が出てくる。現代史の教材の宝庫だった。今回も当然、その全てを伝えられない。興味のある方にはお勧めの一冊である。

0 件のコメント:

コメントを投稿