2024年1月6日土曜日

もういらない。紅白と万博。

https://jaa2100.org/entry/detail/030396.html
大晦日の紅白歌合戦は、その存在意義を失っているように私には映っている。紅白歌合戦は戦後、国民の士気向上のためNHKが始めたラジオ番組に端を発している。国民的番組となったのは、昭和時代を通じて同様の社会コードとしての意味合いが存していた故である。(当時は歌謡曲が主流であって、誰でもが知っている歌が多かった。)平成時代以降、音楽界のリゾーム化が進み、国民の様々な志向が番組の編成に無理を強いてきた。2023年は、某アイドルグループ集団の事件もあって、さらに視聴率は低下したらしい。そう、もう紅白歌合戦の存在意義は限りなく減少しているのではないだろうか。ちなみに私はもう10年以上見ていない。

ところで、大阪では万博を中止すべきだという論議が湧き起こっている。万博は、近代社会の誕生とともに始まった。ロンドンやパリで、最新の建築技術(ガラスや鉄鋼建築)が発表され、各国が国威を示す様々な科学技術の展示会としての、時代の要請から生まれたものだ。大阪で万博が開かれたのは、高度経済成長期にあった1970年。私は中学1年生であった。このころは、当然簡単に世界的な情報を得ることは書籍等以外ほとんど不可能だった。(TV番組でも、海外ロケなどは少なかった。)だからこそ、万博開催の意義は大きかったと思われる。

初めて万博会場に近づき、三菱未来館を見たときの興奮は、未だに覚えている。10回近く行ったように思う。ちなみに三菱未来館では、3D映像を始めてみた。ソ連館の威容に驚き、アメリカ館の月の石展示に続く行列を横に見ながら、各パビリオンの様々な巨大スクリーンに映る映像に圧倒された。わたしが一番印象に残っているのは、日立館のフライトシミュレーターである。最後の着陸を担当したこともあって大いに印象に残っている。今や、PCのゲームで楽しめるが、当時は大変な技術だった。空港などで珍しくない動く歩道も万博会場で最初に乗って驚いた。また、アフリカ諸国の小さなパビリオン集合体のことも印象に残っている。先進国の巨大パビリオンに比して、なんとも小さなスペース(ほとんど観光案内所という感じだった。)に黒人女性がぽつんと立っていた。この格差に当時中学生だった私は驚いた。1970年の大阪万博は、様々な学びの場となったのだった。

https://hide333a.sakura.ne.jp/expo70_j01.htm
あれから54年。今の中学生が、万博に足を運ぶ理由が見えない。世界各国の地理を知りたければ容易に検索できる。新しい技術が知りたければ、これも検索可能。当時は、世界各国から観光客が来ていて、新鮮に映ったが、今やこれも日常。ほんと、万博の存在意義はないに等しい。

なのに、府政や市政を握る某党は万博を無理やりでも推進しようとしている。財政的にも完全な無駄遣いであり、様々な赤字計上が予想されているのに、である。利権構造上に万博があるのは明らかである。誰のための万博か。…時代とともに存在意義を失ったものは、もういらない。利権が絡むのであればなおさらである。

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