2024年1月20日土曜日

世界史の「大分岐」その2

https://tabichannel.com/article/824/antwerp
「先生も知らない世界史」のエントリー第6回目。ヨーロッパが何故アジアより発展したか、についての玉木俊明氏の説が紹介されている。そもそもヨーロッパの方が、アジアより貧しかったという、ヨーロッパ中心の歴史観を覆す必要がまずあるという。ヨーロッパはアジアから香辛料を輸入すしていたが、アジアの方はヨーロッパから輸入するべきものはなかった。しかし、ヨーロッパはそれを克服した。その理由を探ろうというわけだ。

大分岐の第一段階は、最初はベルギーのアントワープ(=アントウェルペン/画像参照)、その後はアムステルダムを中心とする商業情報の発展である。アントワープでは、年数回巨大な市が開かれていたが、商品が増え毎日のように市を開く必要性から、手書きの安価な価格表が登場した。1540年代にアムステルダムに移動したアントワープの商人は、取扱範囲を新世界からアジアにまで拡げ、このアムステルダムの取引所での価格を印刷するようになる。経済学的に言えば、情報の非対称性が少ない社会になったのである。経済活動がしやすい社会とは、人々が市場に参入しやすい社会だといえる。そのような社会がヨーロッパに誕生したことが大きい。

大分岐の第ニ段階は、単純にイギリスの産業革命であると言われていることは認めつつも、もっと長期的な理由を玉木俊明氏は考える。なぜ工業化が推進されたのか?それは、ヨーロッパとアジアの風土の違いである。ヨーロッパはアジアより植生が豊かではない。ゴルフの発祥地はスコットランドのセント・アンドルーズであるが、日本のように除草剤を撒く必要などなく、そもそも雑草が生えない。この植生の貧しさは、生産性の低い小麦・大麦生産と大きく関連しており、カロリー面においてもアジアの米より人口支持力が低いので、人口が少ない。よって、人間は希少材である。アジアでは、人口が多いので安価な労働力を得るのは容易いが、ヨーロッパでは、機械化を推進し、(アジアより)高賃金の労働者の雇用を抑えようとしたといえるのである。

…なるほど、と膝を叩かずにはおれない。エンクロージャー以後、産業革命期の「自由な賃金労働者」の背景はここにあるわけだ。

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