2024年1月17日水曜日

イタリアは何故衰退したのか

16世紀頃まで、ヨーロッパの先進地域であったイタリアが何故衰退したのか。玉木俊明の「先生も知らない世界史」のエントリーを続ける。フィレンツェなどは毛織物工業が発展し、問屋聖手工業への金融業からの資金貸付などが行われており、産業革命まであと一歩という状況だった、とスウェーデンの歴史家・マグヌソンは言っている。しかし、イタリアは都市国家であり、国家の力が小さく、国家が経済に介入して経済成長を達成することができなかったとも言っている。主権国家は、時に武力を用いて市場を保護し市場活動を円滑にすることに成功したが、イタリアにがそれができなかったというわけだが、違う側面から玉木氏は考察を進める。

まず、金融・保険業から。ジェノヴァで創設されたサン・ジョルジョ銀行が世界最古の銀行と言われているが、為替や貸付、投資機能は大きく発展したものの、信用創造制度は発達しなかった。通貨供給量が増えないという弱点があった。海上保険業も発達していたが、確率論を欠いており、保険率をきちんと計算できなかった。通説とは異なり、イタリアの金融・保険業は決して近代的なものではなく、過大評価しないほうがいいと言うわけだ。海運業も、森林を伐採するとそれまでという資材不足から衰退していく。16世紀末には造船技術でも北ヨーロッパに追い越され、また囚人や奴隷など安価な漕ぎ手でガレー船を運行していたが、供給不足で自由民を雇う流れのなかで、コストが上昇していく。イタリアのそれまでの先進的だった金融業・保険業・造船技術・海運業といった強みがことごとく弱っていったのである。

さらに、近世におけるエネルギー問題では、木炭や石炭が、イタリアでは枯渇状態ならびに非生産であり、それにも増して、人口増による慢性的な食糧不足が発生する。ヨーロッパ全土に蔓延した食糧不足はイタリアでは他地域よりかなり深刻で、北ヨーロッパからの穀物を輸入せねばならなくなった。このことがきっかけで、(地中海の)貿易の海運は、北ヨーロッパ(イギリス/オランダ/スウェーデンなど)に握られてしまい、致命傷となったのだった。

…イギリスがまだヨーロッパの田舎だった頃、貴族の子弟は、イタリアに旅することが流行した。これを請け負ったのが、かのトーマス・クック社(世界最古の旅行会社)である。田舎者が当時最高の芸術に触れ、帰りにフランスでテーブルマナーを学ぶという修学旅行の原点であるそうな。ローマ文明とルネサンスの先進国・イタリアへの憧れは今なおヨーロッパ人の中に存在するに違いない。

…「帳簿の世界史」(画像参照)という本を一時期呼んでいたのだが、ある程度の簿記の知識が必要のようで、途中で挫折してしまった。そこに、イタリアの金融業の話が出てくるのだが、かなりいいかげんな帳簿管理をしていたようだった。それくらいの記憶しかないのだが、イタリアの先進性がことごとく踏み潰されていく様子は哀れだとしか言いようがない。国家統一の遅れも当然重要だが、こういう経済史からの視点は実に面白い。

0 件のコメント:

コメントを投稿