2024年1月24日水曜日

英国産業革命時の経済成長率

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO72650120X00C21A6BC8000/
1962年、イギリスの経済成長の推計を扱った書物が上梓され、産業革命期のイギリスの経済成長率は思ったより低かったことがわかった。「先生も知らない世界史」のエントリー第10回目は、なぜ低かったのかという話である。(もとより残存するデータは少ないので正確な数値はだせない。)1984年、アメリカの計量経済史家のジェフリー・ウィリアムソンは、イギリスは戦争を遂行しながら工業化を進行できるほどの資源がなかったという結論を出した。戦争により戦費が急増し、クラウディング・アウト(大量に国債を発行したために、市中の金利が上昇し民間の資金需要が抑制されること。)が発生したと主張した。現在の日本でも、国債が大量に発行されているが市中金利は低いので、クラウディング・アウトは起こっていない。すなわち、借金の多さと利子率には直接の関係はない。利子率が高くてもそれ以上の利益率が得られると考えられれば企業は設備投資を行う。実は産業革命時の資金は巨大な資本市場から得たものではなく、家族や友人などから集められたらしい。しかも、戦争の時代、イギリスは島国ゆえに戦場になることはないと考えられていたので安全な投資先で、前述のようにオランダなどから投資が集まっていた。

17世紀の間、イギリスの商品はオランダ船によって運ばれていた。クロムウェルの航海法によりオランダ船が排除されたが完全ではなかった。18世紀になるとイギリス船の比率は飛躍的に伸びたが、それでも経常収支は赤字だった。フランス革命からナポレオン戦争時には、戦費と工業化のための資金不足で、所得税を導入するほどに逼迫したのだが、大陸封鎖令(画像参照)でイギリス国内の外国資本は国内に留まることになり、その資金で鉄・運河・港湾の改善などのインフラ整備に回され、工業も消費財から軍需品生産などの重工業に中心を移した。大陸封鎖令はイギリスにとって、反対に大きなメリットになったわけである。国内的には、海外投資が行われず国内に向かい、富裕層の税負担増とあいまって借金依存度が減り、戦争遂行を容易にしたし、19世紀になると債務国から債権国に成長したのである。というわけで、産業革命期のイギリスは、クラウディング・アウトなど、なかったわけだ。戦争という経済的な負担、大陸封鎖令といった経済封鎖を乗り越えてイギリスは産業革命を低成長ながらも乗り越えたわけで、玉木俊彰氏は、その陰にスウェーデンなど中立国の船をつかった密貿易の可能性を示唆している。

…この戦争と経済封鎖という状況は、当然ながら、違いはあれど、現在のロシアを彷彿とさせる話である。現在のロシアも人手不足による供給減と野菜や果実などの輸入減などでインフレに苦しみながらも、今のところ、低成長ながらまあまあ経済は順調のようだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿