2017年12月21日木曜日

IBTの話(153) 私費生卒業式’17

最後のHRで撮ったクラスTシャツでの写真 私はもの凄く気に入っている。
卒業式の日である。担任として迎えるのは7度目になる。いつもながら、寂しい思いと学生の好意とが錯綜するような1日であった。今回の卒業式から、着任順ではなく、担任は前の方に座るようになったので、和服姿のK先生の横、つまり2番目の席で式を見させていただいた。私より長く初級から世話して頂いた先生方を差し置いて前に座るのは私の趣味ではないのだが仕方がない。

今回も昨年にも増していい卒業式だった。ラザク先生のご子息も来ていただけて、我がクラスのI君にラザク奨学金を付与いただいた。そのI君が答辞をやってくれたのだが、文学的でしかも笑いや涙ありの素晴らしい答辞だった。保護者に対する感謝の言葉も、日本語、マレー語、中国語でそれぞれ語ってくれた。後で指導を担当していただいたK先生にお伺いしたのだが、マレー系の私費生もいるので、マレー語を加えたいという要望が本人から出て、友人にコーチしてもらったのだそうだ。凄いな、と思う。私の経験した三十回近い卒業式の答辞の中でも最も良かったのではないかと思う。
今年の歌はゆずの「栄光への架け橋」、我がクラスのH君とK君が中心になって頑張ってくれていた。昨日のリハではどうなるかと思っていたけれど、当然本番は成功するのである。素晴らしい歌を披露してくれた。涙腺が緩くなっているのでちょっと危なかった。(笑)

式の後、今年もいろいろな好意を学生から頂いた。俳句集。お母さんが焼いて頂いたバナナケーキ。絵はがき…。写真もいっぱい撮った。最後のHRをして、成績証明書を渡し、少しだけ話をした。彼らが入学した昨年4月、マレーシア最初の夜、中華系の青年に、ミッドバレーで吉野家の牛丼を頼んだはいいが、お金が足りなくてRM3払って貰った話。彼に担任として頑張ったこの8ヶ月を捧げたい。日本語が少し話せた彼のご恩に少しでも報いることが出来たような気がする。たった一人のインド系のL君もいるが、最初の友人になってくれたのはインド系のナイスガイである。彼のお陰で朝のバスが楽しくなった。彼にもこの8ヶ月を捧げたい。そんな話である。F38Aの諸君にも日本で、いい人に出会って欲しい。そんなことを話した後、「理想に生きることをやめたとき青春は終わる」という私の人生訓を今回も贈った。IBTで担任をもつとは思っても見なかったが、良い学生に囲まれて、本来なら定年の年に、こうしてまた「青春」の日々を送れたことに、深く感謝したい。F38Aの学生諸君、本当にありがとう。これからも長い付き合いをしていきたいと思う。

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