2017年12月13日水曜日

セネガルのクルアーン学校

http://www.kw.undp.org/content/kuwait/en/home/blog/2017/6/9/Saint-Louis-Senegal-the-challenge-of-sustainability.html
国費生の修了試験が昨日から始まって、今日は私の「公民」の試験だった。その採点を終えてから、早めに帰宅させて頂いた。かなり体力面でのダメージが貯まっているようだ。住処で少し仮眠をとったらだいぶ楽になった。と、いうわけで、「子どもたちのアフリカ」の書評を続けたい。本書に3編あるクルアーン学校シリーズの最後は、セネガルの話である。

第1部乾燥地に生きるの第2章「小さなイスラーム教徒たち-セネガルの農耕民ウォロフと遊牧民フルベ」と題された阿毛香絵さんの論文である。舞台はサンルイ市という北部のモーリタニア国境に近い、かつてはフランス領西アフリカの首都だった街である。ここのクルアーン学校はサンルイ市とその近郊で200近くあり、ダーラと呼ばれる。ここで学ぶ子ども達はタリベと呼ばれ、教師はマラブーと呼ばれる。ダーラは、昨日エントリーしたマリのジュンネのクルアーン学校のような塾形式ではなく、ブルキナファソのワガドゥグ-のクルアーン学校に近い共同生活を行っている。ここで語られるキーワードは「良い苦痛」である。

国際組織や政府から多くの批判があるものの、サンルイではダーラは伝統的な教育として息づいている。ダカール(セネガルの首都)など人の繋がりが薄い地域では、子どもの搾取としって良いくらいのダーラもあるようだが、サンルイでは地域住民のマラブーがひどいことをしていないかという監視の目とサポートがあるようだ。

タリベ達が目差すのは、クルアーン全章を暗唱、読み書きできること(ウォッチ・クルアーン)である。親類一同や地区の人々の前で暗唱のテストを受ける。これは大変名誉なことで、その後「知識(ハムハム)」というクルアーンの内容、シャリーアをアラビア語で学ぶ第二段階に入る。

さて、キーワードの「良い苦痛」について、ダーラで学んだ経験のある大学生がこう言う。「教育には二種類ある。学校で学ぶ知識もあるが、もう一方で、人間として生きていく上で正しい振る舞い方や考え方、信仰心を育てる教育、人間形成がある。ダーラの目的は二番目の教育をすることだ。」

近代社会には教育=学校へ行くことと同一視されるが、ウォロフ語のジャング(学ぶ・教育する)には、いくつかの異なった意味があるそうで、1つ目は社会的マナーや価値観、人間としての器量あるいは生きる知恵を得ること。ウォロフ語では好ましい人格を表す言葉として「ヤル」(貞淑さ・謙虚さ・相手を敬う態度)「テギン」(落ち着いた態度、何事にも動じない姿勢)などがある。ダーラでの厳しい集団生活がこれが養われるという。2番目が先ほどのハムハムで理性を養う教育である。数学や語学などの一般的知識、さらにシャリーアの法体系を学ぶという意味がある。最後に、最も大事な「ディーン(信仰心)」を養う教育である。セネガルのムスリムは神秘主義(スーフィー)が根付いており、「タルビーア」という修行を通して神に近づくための魂の教育を行うのだそうだ。

…アフリカに学ぶことは多いと思う。この小論もまさにそうで、欧米的なるものが、普遍的・絶対的な正義である、とは私は言えないと思うし、また日本や欧米の教育の目差すところとも共通点は多い。本書にあるクルアーン学校について書かれた三編を比較しながら読むだけでも実に味わい深いのである。

タリベ達にとっての「良い苦痛」についての記述は、新刊故に今回もエントリーを控えたい。スミマセン。

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