2012年11月15日木曜日

明日の『紫のふくさ』と憂鬱

明日、久しぶりに『紫のふくさ』が登場する。”紫のふくさ”とは、衆議院解散時に、天皇から衆議院を解散する旨の詔書が本会議に届けられる時に使われるものである。今日は授業で、TVニュースで流れるかもしれないので、めったに見れないから見ておくようにと、そんなことも話していた。

一時期、こういう日本政治に関する細かな面白い話を集めていたことがある。今はもう、ワケがわからなくなってしまったが、自民党の長期政権下では、高校の政治経済の教科書に載っている事項だけでは、新聞を読んでもよくわからないことが多かった。政治に興味を持たせようとすると、自民党の党内の構造をあきらかにする必要があったのだ。だからかなり勉強した。

自民党の当時の構造の柱は、党の政務調査会。これらの部会は、各省庁、ならびに衆参の委員会と密接な繋がりがあった。新人議員は、2つの部会に所属した。たとえば、大蔵部会(昔の大蔵省関係)と逓信部会(昔の郵政省関係)といった感じである。人気があったのは、金や票に密接に繋がる部会である。先の二部会や商工部会(昔の通産省関係)や建設部会(昔の建設省)、農林部会(農水省関係)などである。ここで、官僚と共に政策協議をやる。官僚から専門的知識を学び、官僚との人脈を繋ぎ、国会の関係する委員会に所属したりしながら”力”をつけるのである。所謂”族議員”である。

後に、この政官癒着が問題視されたわけだが、この政務調査会を束ねる政調会長は党内でもかなりの力を持っていたわけだ。大臣というのは聞こえがいいが、実際には政策に関しては政調会長のOKなしでは、各省庁から出される法案は提出できなかった。一方、党務全般を束ねるのは、総務会長。政調会長に比べれば地味だが、各派閥の意見調整は総務会で行われた。そして、最大の権力を握っていたのは、幹事長である。党の資金、人事、そして選挙を担当する。ヒト、選挙区、カネを握っていたわけだ。この三者を自民党三役といった。予算も、この三役の決済が必要だった。この構造、教科書にも資料集にも載っていなかったが、極めて重要な事項だったのだ。

今は、小選挙区制になって派閥の権力が弱まり、こういう構造は空中分解したようだ。民主党では、こういう競争社会的な議員育成はされてこなかった。官僚とのしがらみはないが、国会議員としての力(官僚のもってくる政策を審議する力や、法案を実際に成立させる能力など)は磨かれない。だから、「最低でも県外」とか「2位じゃだめなんですか」などの信じられない浅い認識の迷言が出てくる。国家機構を動かすと言うのは、そんな簡単なものではない。石の上にも3年と言うがこれを衆議院の平均任期とすると、大臣となるのに自民党政権下では6期以上だから18年かかる。私の教員経験から見ても妥当な年月だと思う。それくらい、ベテランとなっていろいろな専門的な勉強をして、人脈を築いてなんぼのものである。民主党の大臣は、経験不足で専門的な見識が磨かれないのは当然である。「政治主導」という綺麗なコトバだけが先行して、主導したい政治家が浅学なのだから、大混乱となる。官僚もとことんボロボロに傷つくことを待つことになる。

誤解のないようにしたいが、私は自民党支持者ではない。今回の解散に至った経過について論じているのだ。民主党の国会議員にそのような資質が欠けていて、この3年間日本が迷走したことに、首相がやっと終止符を打ったという実感がある。前回の選挙で風にのって当選した1回生議員は何をしていたのか。おそらく長期自民党政権下の1回生議員より何もしていないはずだ。自己の将来に汲々とし、離党している輩を見ると、誰のために、何のために政治家をやっているのかといいたい。同時に、第三極と呼ばれる風にのろうとしている素人にも、たとえ当選したとしても同様の未来が待っていると私は思うのだ。このままではヒトが入れ替わるのみ。

中国の権力構造が習体制となり、大いに変化した。だが、中央委員云々などと言われる人々は地方で行政の実績をかなり積んでいる。日本の政治家に比べればプロ中のプロだ。過激なコトバや思いつきの美麗美句で飾るしかない素人が勝負できる相手ではない。憂鬱である。日本はどこに流れて行くのだろうか。

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