2012年11月10日土曜日

「鄧小平秘録」下巻を読む。

今週は、血中酸素濃度が低いのか体調があまり良くなかった。通勤でもついウトウトしてしまい、読書速度が遅くなる。なんやかんやと言いながら、「鄧小平秘録」下巻を読みきった。下巻の構成は第四部「毛沢東死す」・第五部「長老たちの暗闘」・第六部「先富論の遺産」となっている。下巻は時間的配列がそのままなのでまだ上巻よりは読みやすかったかもしれない。

第四部には、四人組逮捕の様子が詳細に描かれている。この逮捕劇の中心になったのは葉剣英であることが明確になった。やはり国家権力のエンジンは軍だということか。当然ながら、中国共産党の第一世代は、長征、延安、八路軍、国共内戦と軍人として生きてきた戦略家であるし、第二世代もその元で軍事行動に長けている。西側では、シビリアンコントロールが定着しているので、この辺が経験的に理解しがたいのだが、「20世紀的近代国家」ではあるものの、法治主義というよりは「人治主義」の色合いが濃い中国ならではの話である。ただ、この四人組逮捕には、かなりの抵抗があったようだ。権力移譲がこのような「軍」を背景にした「暴力装置」でなされることへの抵抗である。生々しい権力闘争を繰り広げた中国だが、基本的には政治局員などがコンセンサスを元に中南海というコップ内で争うのが、中国の流儀なのだ。四人組の逮捕劇は異例中の異例だといえるわけだ。

「世界に百数十の国があるが、我が国の平均収入は下から数えて二十数番目だ。」「われわれはあまりに貧しく、立ち遅れている。正直言って人民に申し訳ない。」1978年9月の鄧小平の言である。第五部は、華国鋒の毛沢東の言葉や指導は全て正しいとするドグマに挑戦し勝利した鄧小平の戦いを描いている。ところで、中越戦争について、私は何故中国がベトナムを攻撃したのか、カンボジア側についたことを知っているくらいで、よく分からなかったのだが、これは対ソ連がらみだったようだ。実際極秘に中ソ国境に100万の兵を置いた上で、ベトナムに侵攻し、ソ連の出方を伺っている。結局ソ連は中国に戦争を仕掛けなかったが、本気で中ソ戦争が起こりうるか否かを確かめる為に侵攻したらしい。6000の兵を犠牲にしたが、それは中国の指導者にとっては全く問題ではなかったという。基本的に軍人である鄧小平は、そういう冷酷さを内在していたわけだ。
この頃の鄧小平は、アメリカの投資を何より重要視していた。日本との友好は、まさにその延長線上にあった。胡燿邦、趙紫陽といった昔からの部下を従え、左派の陳雲らと折り合いをつけながら改革・開放路線を前三後一の歩みで進めていったわけだ。

そして第六部は、様々な鄧小平の改革・開放の矛盾をえぐっているのだが、ひとつ気がついたことがある。江沢民のことである。彼がこの改革・開放路線を守りつつ、東欧の社会主義崩壊の影響を極力排するためにとった道が、反日愛国教育政策だったことだ。自国の政治不安を解消する方策としては対外的な敵を設定し、そこに目を向けさせることは権力の常道である。その江沢民が胡錦涛と共に先日の第18回共産党大会に姿を表した。うーん。こりゃ、当分日中の対立は続くなということか。

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