2012年10月14日日曜日

「岩倉使節団」を読む。(米国編)

今、「岩倉使節団-誇り高き男たちの物語-」(泉三郎/祥伝社黄金文庫/本年9月10日初版)を読んでいる。全775ページのぶっとい文庫本である。これまでにも、岩倉使節団について書かれた本は何冊か読んだが、ここまで詳しい内容ではない。数多くの逸話が盛り込まれており、日本史あるいは世界史の教材としては一級品である。と、いうわけで、何回かにわけて、教材として使えそうな逸話集をエントリーしておこうと思う。

このノンフィクションは、久米邦武という肥前出身の漢学者で、鍋島閑叟の秘書のような立場にあった人の公式記録『米欧回覧実記』を中心に書かれている。

サンフランシスコで歓待された話は有名であるが、その後シエラネバダを超えソルトレークシティで大雪のため止め置かれることとなった。1971年の正月をここで迎えている。一夫多妻のモルモン教に驚きながらも、温泉があったのが救いだったようで、なかでも木戸は痔に悩んでいて好都合だったという。…木戸は長身の色男だったはずだが、おもしろい逸話である。

ワシントン滞在中、久米の大使付の仕事に幕末の薩摩の留学生の一人、畠山義成が通訳として加わった。条約改正交渉で自由な時間があったので、この際米国憲法を翻訳しようということになった。畠山が口訳し久米が筆記した。ここに木戸が「おれも参加させろ」と熱心に通ってきた。「ジャスティス」を正義としたものの、「ソサエティ」の訳語が決まらず苦労したらしい。…後に憲法を定めることを大目標とした木戸の逸話としては最高の話だ。

木戸はこのころ英会話を習っていたが、新島襄と出会う。森有礼の紹介で随員となったのだった。木戸は以後、彼の堅実で着実な考え方がすっかり気に入り贔屓にしていく。…木戸の話が多いが、こういう人材を見出し、世に出す能力は木戸の最大の魅力である。

ワシントンで非常に目立つことのひとつに黒人の多さがあった。久米は人口11万のうち4万4千としている。ある日、黒人学校を訪れている。しかも、久米はこの奴隷制の顛末を書き記し、その未来までも推量している。「こくじにも英才輩出し、白人の不学なるものは、役を取るに至らん。」…私はワシントンに3度行っているが、今も変わらない。と、いうよりこの頃からそうだったことに驚いた。

一方、伊藤博文の軽率な勇み足で、条約改正を行おうとして大久保と一時帰国したわけだが、全く理解されず進退きわまって困窮の極に達した。切腹するしかないというところまで追いつめられたらしい。二人の面子上、委任状を出した新政府だが、軽々しく使えないように厳しい条件をつけた。…伊藤はともかく、大久保までこの軽率な行動に乗せられ、切腹寸前まで行ったというのが驚きである。

使節団滞米中、大統領の予備選挙中で、アメリカの政治制度を学ぶちょうど良い機会となった。久米は、こう評している。「一見すれば真の共和国であり、理想の形態のように見える。が、よくよく実態を聞けば、なかなか理想のようにはいかないようだ。」と、ポピュリズムや衆愚政治に陥る危険性を指摘する。事実、マーク・トウェインが「金メッキの時代」と名付けた金・金・金の時代であった。…久米の指摘は鋭い。漢学者であるが、やはり一流の人物の目は鋭い。

ニューヨークでは聖書の出版社も見学している。久米はキリスト教の狭義には批判的だが、こう分析している。「情欲が盛んで権利意識の強いアメリカ人の間では宗教がそれを中和し、バランスをとるに不可欠なものであることを痛感する。」人々が品行を保つ上でも実効があるとすれば、大いに学ぶに値するとしている。…これも久米の分析の鋭さが際立つ。

…すでに、アメリカの民主主義の問題点や、宗教の問題など、さらには「自由と民主主義」を拡げることを国是とすることまで見抜いている。明治5年という時代を考えると、やはり凄いとしか言えない。と、今日は、とりあえず米国編までの逸話でお開きとしたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿