2012年10月18日木曜日

「岩倉使節団」を読む。(露国編)

St.Peterburg
さて、岩倉使節団の旅も最終コーナーである。このロシア行の前に、大久保と木戸に帰国命令がでる。井上馨と江藤新平の対立が尖鋭化し、国内組ではどうにもならないところまで来ていたのだ。大久保は、とりあえず、紙幣の印刷状況をフランクフルトで確認してから帰国の途に就く。木戸は、帰国命令をけり、ロシアまでついていく。木戸の中では、引退を決め、最後のご褒美旅行という気分に堕ちいっていて、ロシアではサウナ風呂にご機嫌だったようだ。

ペテルブルグで久米はこう書く。「英、仏、白(ベルギー)、蘭は平民に人物富豪の多きこと貴族を超える、故に全地みな繁昌して民権もまた盛んなり、独逸(オーストリアも兼ねる)、以太利(イタリア)は貴族の官平民に越ゆ、故に文物の観るべきもの、全国なお貧なるを免れず、因って君権は民権より盛んなり。ロシアは全く貴族の開化にて、人民全く奴隷に同じ、財貨は上等の民に包覧(所有)せられ、専制の下に圧抑せらるるも、この成形(成り立ち)による。」そこで、ロシアの貿易や商売はほとんど外国人によって独占され、ぺテルブルグの主だった店はわずかな英国人の経営を除いてはほとんどがドイツ人の経営だという。ドイツ人はロシア人を軽蔑すること甚だしく、ロシア人もドイツ人の傲慢虐待に怨恨を抱くほどだという。文化的にはなんといってもフランスを敬慕し、仏の文明が全ヨーロッパに覇を唱えている状況だという。…三帝同盟時代のロシアとドイツの関係が見事に描かれている文章である。なかなかこんな良い世界史教材はない。

このロシアの貴族の裕福さと、民の経済格差の大きさについて、久米は「西洋人は欲望が強く、その性情を矯しようという意識が低い。だから君主も、所有する土地やそこに住む人民から高い税を取り立て、膨大な財宝を懐に入れている。その様子はあくなき貪婪(どんらん)さだと言っても過言ではない。欧州の人民の間に自由論が激発し、王権を奪って民権を全うしようという議論が沸き起こる原因もそこにある。」と書き、「東洋人種は情欲の念が薄く、君主は道徳を重んじ、むしろ節倹を旨として、民の幸福を願うもの」という観念があり、西洋人種はその対極にあると解釈している。さらに、ロシアの政教一致の絶対王政を批判的に見る。「朝廷に臨みては帝となり、寺に入りては教王となり、宗教も支配下においているのはロシア一国である。」久米は、どうも宗教を支配の道具にしているケースが多く、この仮面を以って愚民を役使していると極言している。、

…かなりボロクソに久米はロシアを見ているわけだ。輸入の利をドイツに制せられ、海上の商権は英人に占領せられてしまっているロシアは、不凍港がないこと、黒海は英国人に制せられ、ボスポラス海峡はトルコに支配され自由に航行できないことがネックなのだ。クリミア戦争で、その突破口を開こうとしたが、国民一般に気力がなく破れてしまった。それもこれも貴族に富を集中し、人民が貧しく自立の力に乏しいからだと結論付けている。

開発経済学的に見た時、当時のロシアは悪いガバナンスに完全に毒されていた途上国だったと言えるだろう。一行は、ドイツに戻る道すがら、ロシアの荒野を見ながら思うのだ。地球は広い。大繁栄している英仏などの開化した都会は、ほんの一部だ。日本はまだまだこれから発展していく。必ず追いつけるはずだと。

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