2012年10月15日月曜日

「岩倉使節団」を読む。(英国編)

昨日の続きを書こうと思う。今日は英国編である。久米の『米欧回覧実記』は相変わらず鋭い。英国のビクトリア時代の議会政治を鋭く分析している。貴族院が隠然たる力を持っている理由を『貴族の国会に最も権力あるは財力にあり、およそ国のために公益を興すも、国安を保持するも、威力を伸べるも、商議の結局は財用に帰す。』と書いている。下院に対しても同様で、国民の一番の関心事は要するに租税であり、それをいかに徴収し、いかに配分するかが政府の最重要の問題だとしている。米英では、商工業者が大きな力をもっている。そこから生み出される冨、財産が民権のもとであるという分析は、当時としては凄い洞察力なのだと私は思うのだ。

木戸は、長州の後輩、青木周蔵をベルリンからロンドンに呼び寄せている。憲法をつくることを念頭に、青木の講義を受けるのだ。『米仏は自由主義の度合いが強くて共和制度であり、英独は互いに似て君主・貴族制度の度合いが強い。イギリスでは個人の自由は十分に尊重するけれども平等に権利ある者とは考えない。フランス人の言う自由主義、平等主義も結構だが、全国民を十把ひとからげにして同じ権利を認めるというのは、結局社会の秩序を根本的に変えることを意味する。』これに木戸は感涙したという。木戸は、自由が過度にわたり、忠孝の道がすたれのではと心底心配していたらしい。この辺も当時の状況から見て大いに理解できるところだ。で、経験主義的な実体的な条文しかない英国より、理路整然としたドイツ憲法を翻訳するよう青木に託すのだ。…実は、この辺に大日本帝国憲法の源がありそうである。

女王が不在故に、使節団は英国をなめるように視察していく。リバプールについて。『毎日平均ニューヨークへ34隻におよび、ボストンへは8隻、他の港に11隻、計53隻ずつ、日々連綿として大西洋に旅立っている。』とある。実はこのリバプール、かつては国王承認の海賊の基地であり、18世紀後半には奴隷貿易の要港となり、アメリカ移民の基地となり、産業革命後は綿や羊毛と工業製品の交換の要衝となっていた。クレーンを始めとした港湾設備に感激し、日本の港湾のインフラについて考え、荷物の包装の重要性について考えている。…最も英国で使節団がビンビン感じたのが、こういう設備投資の格差だっただろうと思われる。

ニューカッスルで、工場見学をした際、案内する人にいろいろ聞いてもわからないことが多い。それぞれの専門があって、自分の専門以外のことはわからないくらい分業が進んでいることに気づくのである。これこそ生産性の高さの秘密。…こういう本質を見抜く力は、やっぱり凄いよなあ。

大久保は英国で、引退を口にしたことがある。当時43歳。大久保の真意は、米英の富強の本はわかってきた。これに追い付く法もないわけではない。しかし先立つものはカネである。岩倉も木戸も、現実にカネの心配をする官職についたことはない。しかし大久保は現に大蔵卿である。極めて現実的なリアリストである大久保は、米欧の様々な工場やインフラを見て、いかほどの資本が投下されたかを考えたに違いない。後に殖産興業の先頭に立ち、独裁とも揶揄された大久保も、あまりの格差に茫然自失していたということらしい。…責任をもつ男の悲哀である。これを機に再び立ち上がる大久保は、やはり維新最強の男だと思うのだ。

英国との不平等条約の折衝では、トルコやエジプトがしきりに引き合いに出された。日本より10年先だってトルコも同様の不平等条約を結ばされており改正交渉を進めていたのだ。同列におかれていたということだろう。…これは不勉強を恥じるところ。なるほどと思った次第。

『実記』には、「英国は日本と人口、形勢、位置、広狭などが近い、ところが営業(経済)力は格差が甚だしい。英国の労働人口は891万だが、動物船車の力は4400万人に匹敵し、蒸気器械の馬力は人口11人につき平均1馬力をもつ。植民地の面積を総計すればロシアの広さをも凌駕し、日本の76倍、総人口は2億4332万人となる。と久米は書き、米国での視察が予習の役を果たし英国では冨の源泉について学んだ。」と感想を述べている。しかし、こんな言葉で結んでいる。『著しくこの景象を生ぜしは、わずか四十年にすぎざるなり。』…よく調べてある。さすが久米である。最後の「四十年」に、サムライの意気が感じられる。

最後に、使節団はロンドンの貧民街まで視察している。この話、後の仏国編に繋がっていく。長くなった。本日はここまで。

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