2016年12月23日金曜日

マレー・ジレンマ (2)

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political-map-of-british-malaya-1939
現代アジアの肖像14「ラーマンとマハティール」(岩波書店/藤原宜之著/1996年2月5日発行)の読後の備忘録をエントリーしたい。まずは、イギリス植民地下のマレーシアについて、極めて重要なので整理しておこうと思う。

1798年、英国東インド会社が、ケダのスルタンからペナン島の割譲を受けたことから全ては始まる。続いて1819年、ジョホールのスルタンからシンガポール島の割譲を受け、1014年英蘭条約でマラッカをオランダから割譲された。この3つの港町がイギリスの東南アジア進出の基地となる。これらが1832年より「海峡植民地」と呼ばれ、直轄植民地となった。同じ直轄植民地だったインドのマドラス州からインド人を移住させ植民地の開発にあたらせた。1848年ベラ州市北部でスズ鉱山の開発が進められ、中国南部から中国人労働者が流入してくる。

1868年、ベラとスランゴールでスルタンと華僑の秘密結社それぞれ結びついてスズの利権をめぐって内乱になった。1870年代に入って、イギリスは海峡植民地の交易を妨げるとして軍事介入して鎮圧。イギリスに好意的な王族をスルタンとして認め、このスルタンとの間でバンコール島で条約を結ぶ。①スルタンの権限をイスラムと慣習法の範囲にとどめ年金を与え、②その他の全ての行政をイギリス人駐在官が握ることになった。これがマレー半島内部への植民地化の第一歩となる。同年、スランゴール、スンガイ・ウジョンのスルタンと同様の条約を結び、1887年にはバハンのスルタンとも条約を結び駐在官を置いた。この4州が「マレー連邦州」となる。一方、1885年年ジョホール、1903年九ランタン、1904年ケダ。1909年トレンガヌ、最北部のベルリス州を加え、これら5州を「マレー準連邦州」と間接統治下におく。

海峡植民地は貿易港・軍港として発展させ、連邦州はスルタンの権限を残しながらも、スズやブラジルから移植に成功した天然ゴムの生産地として発展させるために、ほとんどの行政がイギリスが握り、非連邦州はスルタンの権限をより多く認めイギリス人は顧問としてアドバイスするに留めた。この結果、準連邦州では、イスラムとマレー語を紐帯とするマレー人社会の伝統が強く残ることになった。ジョホール州の出身のダト・オン、ケダ州出身のラーマン、そしてマハティールなどこれら準連邦州からマレーシアの代表的な政治家が出ているのが特徴的である。ただし、彼らは、英語教育を受けたエリートであることも同時に知っておくべきことである。

…改めて、イギリスの植民地支配の狡猾さを知ることになった。要するに準連邦州はあまりイギリスにとってうまみのない土地だったわけだ。だが、この地からプミプトラ政策が生まれてくるわけで、その因果関係が実に興味深いところである。と、今日のエントリーはここまで。

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