2016年12月9日金曜日

IBTの話(60) POST TRUTH

http://y98.cbslocal.com/2016/11/16/the-word-of-the-year-for-2016/
昨日の放課後、物理のM先生から「”Post truth”についてどう思われていますか?」と唐突に質問を受けた。「何ですか?それ?」と私。およそ説明していただいて、それなりに私の思うところを述べたのだが、帰宅後、調べてみると、オックスフォード英語辞典の2016年を象徴する今年の単語であった。M先生は、マレーシアの英字新聞をよく読んでおられるので、ご存じだったようだ。なかなか知的な会話である。職員室という空間はこうでなくてはならない。(笑)

この”Post truth”の意味は、朝日新聞のデジタル版によると、「世論形成において客観的事実が感情や個人的信念に訴えるものより影響力を持たない状況」という、極めて難解な直訳になっていた。私は、”Post”を「後ろの」という意味で受け止めていたが、「重要でない」という意味らしい。要するに、「真実が重要でない」という状況という形容詞であるわけだ。
http://answersafrica.com/oxford-dictionary-crowns-post-truth.html
ちょうど、ポスト構造主義をIBTの生徒に教えた直後なので、ドゥルーズ=ガタリの哲学をもとに考察すればわかりやすい。昨日、M先生に私の意見を述べたが、それはこれらの哲学的考察から導かれたものである。日本の論壇では、この”Post truth”、内田樹先生風に言えば、”反知性的な”という語に置き換えることが可能か、と思う。ポピュリズム批判に使われる語でもある。ウクライナ問題、南沙諸島問題、EUの反シリア移民的政策、英国のEU離脱、トランプ現象、韓国の朝鮮戦争停戦中にもかかわらずの朴大統領弾劾…。これまでの常識的な社会コードが、次々と崩壊し、リゾーム化しているわけだ。

…30年前に浅田彰の(ドゥルーズの哲学を紹介した)「逃走論」などを読みながらも、「スキゾ」という概念が、もうひとつピンとこなかった。それが、今は、スマホを持ったヒトがそこら中にいる。それぞれが、SNSや音楽やゲームに浸っている。昔は考えられなかったまさにスキゾな光景である。哲学は、やはり学問の王だ。その時代のコンフリクトを映し出す。改めてそんな感想をもった次第。
http://www.asahi.com/articles/ASJCJ6F2CJCJUHBI03S.html

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