2012年5月20日日曜日

公開講座追記:金子先生の真意

このエントリーは、昨日の公開講座の追記である。とともに、今夏の国際理解教育学会での研究発表の最も重要な部分の考察でもある。長らく考えてきたことが、昨日金子先生に質問した際はっきりしたのだ。(昨日のブログをまだ読んでいただけてない方は、是非お読みください。)

これまで私は、アフリカを主に社会科学的に見てきた。開発経済学の視点である。これは、経済学的な視点(1人あたりのGDPや経済成長率、ジニ計数などという数値的な分析が主になってくる。)と、政治学的な視点(紛争やガバナンスなどの政策的な問題が多い。)が、単に経済、単に政治として分けて論ずることが不可能になってきている。たとえば、最近のデータでは、経済成長率が大幅に上がってきている国が少なからずある。これは多くの場合、鉱産資源が発見され、生産が始まった故という場合が多い。当然1人あたりのGDPも向上するのだが、実際にはガバナンスが悪く、レントの恩恵が貧困層まで行かない場合がほとんどである。「高校生のためのアフリカ開発経済学テキストv5.01」を作成するにあたって、この経済・政治を縦軸・横軸(第一の視点・第二の視点)として整理して解説したいと思っている。これは、アフリカ諸国それぞれの多様性を認識しながら、「脆弱性」を示すものとなるはずだ。

しかし、こういった数値で表現できる部分だけでは、アフリカを語れない。第三の視点は、「アフリカ=経済的貧困・紛争多発」といった見方からの脱出である。このテキストはESDのためのものである。開発教育が、単に南北問題の土俵で先進国からの上から目線の再構築をするようなものであっては断じてならないと私は考えている。

昨日の金子先生の発表は、まさにそういう意味で大きな勉強になったのだ。エチオピアの辺境に住む被差別的な社会集団の女性たちが、近くにある粘土を掘り返し、それを手仕事で日用品としての土器を焼く。(野焼きである)それぞれが専門職的なスキルを持っていて、多様な土器をつくっている。彼女たちは、客に自分の土器を売り込んだりしない。客が自分の望むものを見極め、使い方を誘発する(女の子が作った小さな土器をバターをかけるのに使うといった、新しいイメージをもたせる)場合もある。これらの土器の値段は3ブル(15円)~20ブル(100円)、市場の屋台のインジェラが1枚1ブルという物価を鑑みて、一人前でも50ブルくらいの収入である。

マクロな開発経済学からは、インフォーマルセクターの一種、市場経済の隙間くらいにしか認識されないかもしれない。しかし、この土器づくり、金子先生のコトバを借りれば『身体の動かし方』こそが、アフリカの生業なのだ。この地域にもプラスチック製や金属製の中国製品の鍋などが出回っているそうだ。多くの人は所持しているらしいが、土器の購入は決して減少しているわけではないそうである。グローバリゼーションの周縁に位置するとはいえ、着実にその波は押し寄せているのだ。だが、彼らは、土器を必要としている。社会科学的な分析を越えた、人文学的な世界。欧米的な効率性が通用しない世界。そういう世界が、アフリカにはまだまだ多く存在している。言い換えれば、我々が「アフリカに学ぶ」べき世界なのだ。

小川さんのマチンガ(路上商人)も、公開講座で知り得た牧畜民の知恵や焼畑農民の知恵、あるいは都市ゴミをまく農法など、多様な地域研究の成果は、まさに第三の軸であり、「アフリカの知」ともいえる。私がアフリカの現地で見た様々な生業。彼らはそれを「あたりまえのこと」として、生きている。このアフリカの人々のパワー。これを抜きにアフリカの豊かさを語れようか。

金子先生は、この土器の世界を講義でうまくグラフ化されていた。講義後金子先生にぶつけた最後のコトバの真意とは「こういうことですか?」と私も、グラフ化して表現した。それが、今日の画像である。X軸・Y軸の二次元ではなく、「人文学的なアフリカの知」のZ軸を加え三次元で表現したのだった。

金子先生は、「…そうそう。」と笑顔で頷いていただいたのだった。

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