2013年12月9日月曜日

ボツワナの初代大統領の話

ポール・コリアの「収奪の星」には、延々と資源の罠とガバナンスの関係が経済学的な土台の上で論じられている。マンデラ氏の死去で南アの話が様々なところで論じられ、大きく紹介されているが、私はあえて、ポール・コリアが次のように述べているところの、ボツワナの初期の指導者について、少し調べてみた。

「ボツワナは、成長の謎と言われる国の一つである。同国の特徴から考えると、悲劇に向かってもおかしくない。国は小さく、独裁者が私物化しやすい。資源が豊富で、利権政治に陥りやすい。しかも内陸国であり、ダイヤモンド採掘以外にこれといった成長機会がない。にもかかわらず、ボツワナの経済運営は世界でもトップクラスである。その理由は、私たちの分析結果からもうかがわれる。(中略)ボツワナの成功は、初期の指導者が自己の利益を顧みずに国家の繁栄に尽力したおかげではないか、と私たちは考えている。(P75)」

ここで指摘されているボツワナの初期指導者とは、セレツェ・カーマ初代大統領である。この人、実はある民族集団の王子なのだがイギリス人女性と結婚したこともあって、王位を捨てて一市民として帰国した優秀なエリートである。当時のボツワナは、南ア・ナミビア、ローデシアという白人支配の国家に挟まれた辺境の地であったと言ってよい。内陸国でもあり、周囲の国々を無視することは、不可能かつ危険であった。カーマが王位を捨てた理由も、南アのアパルトヘイト政策故、周辺国の反対が強かったからだという。彼は、一市民として、チュアナランド民主党の党首となり、独立運動をリード、やがて独立を果たすのである。

周辺国から様々な攻撃を受けながら、彼はうまくかわしていく。独立後にダイヤモンドが発見されたのも幸運だった。独立前なら併合されていたにちがいない。デ・ビアスと開発契約を結び、安定的な財源を手にすると、このレントを政府のものとし、初等教育、医療、インフラ整備に優先的に振り分けた。汚職に対しても強力な対抗策をとり、その伝統が今もクリーンなガバナンスを維持しているわけだ。(12月4日付ブログ参照)また建国当初より、人種融和をかかげ、急速な職員のアフリカ人化を進めることを避け、無理のない形で進めていった。一方で、圧倒的な支持を得ていたにもかかわらず複数政党制をとり、一度も独裁に傾かず、民主政治を貫いた。

マンデラ氏の反アパルトヘイの運動トやジンバブエの反政府活動などに理解を持ちながらも、あくまで慎重に周囲の国と融和しつつ、ボツワナを今日の繁栄に導いたわけだ。

穏健な政治姿勢で、地味だが、このセレツェ・カーマという人物、凄い人なのだった。

2 件のコメント:

  1. 南部アフリカというのは、西、東アフリカにかかわる者にとっても異世界。人口が希薄、莫大な資源があり、ナミビアなど60歳になると年金でそれまでよりもリッチになるのだとか。
    あまりにストレスフリーだからなのかなんなのかよく分からないですが、これだけ理想的な「福祉国家」であるにもかかわらず、自殺者が多かったりするのだといいます。さらに、調査を一緒にしている同僚いわく、「活気がない」とかいいます。
    この辺、バンツー系の移動史などを絡めながら見ていくとさらに深みがあるはずなのですが、さらに過酷な環境の西アフリカ研究をしている私はこのあたりにはあまり興味がわかないのです。なにか儚すぎて、脂ぎった人が群れて何が起こるかわからないドキドキ感がないからでしょうか…

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    1. 荒熊さん、調査ごくろうさまでした。また京都での発表、お疲れさまでした。期末試験の関係で行けませんでした。すみません。昔、ジンバブエの安宿でボツワナ人と会ったことはあります。ご指摘の通り、おとなしそうな人物でした。(笑)ボツワナは、先進国からみたら優等生ですが、インフラの整備が進み、野生の象が絶滅しそうだとか、開発の負の側面も言われている地です。カネと体調が万全ならば、一度は行きたい、オカバンゴとカラハリなのですが…。

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