2013年12月15日日曜日

ナイジェリア「セメント無敵艦隊」

現在のラゴス港
ポール・コリアーの「収奪の星」には、難解な経済理論とともに、興味深い逸話もちりばめられている。鉱産資源の収入を、ノルウェイのようにすべて政府系ファンドにして持続可能な資産に変換することを世銀などは、アフリカのレンティア国家に指導したようだが、ポールコリアーは多分に否定的な見方をしている。国家の将来のためにも公共投資するのも必要、と説いているのだ。ただこの公共投資プログラムは、うまく設計し、汚職を防ぎ実行しなければ意味はない。しかも、「業務遂行能力」が備わっていないと成功しない。ここで、その例として1975年のナイジェリアのインフラ投資について述べている。題して、「セメント無敵艦隊」。(160P)

第一次石油ブームが始まったとき、ナイジェリア政府はインフラ整備を大幅拡大する決定を下した。これは賢明な判断だったと言ってよい。だが、政府は必要量のセメントを国内の生産能力ではまかないきれないことに気づく。そこで輸入することになり、現場のことを何も知らない官僚がある遠国に必要な全量を発注し、ラゴス渡しの条件を指定した。決定権をもつ上位の官僚は誰一人として、貿易実務をわかっていなかったのである。

セメントは運んできた船から降ろすことができなければ何の役にも立たない。ラゴスは天然の良港で、船舶は安全に停泊できるが、岸壁もクレーンもなかった。セメント運搬船が次々に到着し荷役待ちの列が長く伸びてくると、荷役が終わるまでに数ヶ月、いや数年待たされることが明らかになる。そこで、セメントの売主は、おもむろに契約書を取り出して確認した。海運関係者以外はほとんど知られていない標準条項が書き込まれていたのだ。…滞船料である。船が指定の港に到着してから一定間内に荷下ろしができない場合、買主が超過の停留料金を払う規定である。

売主は、これがうまい取引であることに気づいた。減価償却が済んだ老朽船を探してきて、セメントを満載する。できれば粗悪で安価なセメントがよろしい。そしてなんとかラゴスまで運ぶ。あとは錨を下ろしてできるだけ長く停泊し、滞船料をせしめる、という段取りである。ナイジェリア人は、この船隊を「セメント無敵艦隊」と皮肉ったという。

ポール・コリアーは、資源富裕国にアドバイスしたいのは「世銀に頼ることではなく、自国にないスキルを外国から雇うことである。」と続けている。ボツワナ政府は、ダイヤモンドの活用戦略の際、外国人を雇い、それだけでは情けないと感じ、自国の人材を教育し、一緒にプロジェクトの実行に当たらせた、とも。

この「セメント無敵艦隊」の話、なかなか示唆に富んでいる。ナイジェリア政府を稚拙だと笑うなかれ。日本でもこれからも十分ありうることだと私は思っている。日本人は、お上のやることを信用しすぎているのかもしれない。大震災の復興や原発のこと、最近の法案のことなど、およそ優秀な人々がいかに稚拙な間違いをおかしているか。またそれを隠そうとしたか。だからこそ、監視する必要があるのだ、という意見には正義があると私は思うのだ。

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