2011年7月16日土曜日

京大アフリカ研公開講座 7月

夏空の京大稲森財団記念館
今日は祇園祭りの宵山である。私には全く無縁なのであるが、「月イチ京大」の日と重なった関係で、思いのほか京阪電車が混んでいた。(笑)今年度の公開講座も4回目になる。加茂川沿いに桜の花が咲いていた第1回目の4月から始まって、梅雨の季節を過ぎ、夏の空に綿菓子のような真っ白な雲が浮かんでいる。季節の移ろいを感じるのである。と、無理して文学的に記したところで、今月の公開講座は、梶 茂樹先生の『言葉に生きる』である。

息子は、言語学の徒であり、グラマーピープルであるが、私は言語学的素養は全くない。接頭辞がどうの、音韻がどうのという話なら勘弁して欲しいなあというのが、正直な気持ちだった。しかし毎回参加しているし、きっと何か得るものがあるはずだと思って、気合いを入れて、ケニアのタスカー(地ビール)のロゴのTシャツを着て参加したのであった。(笑)

とはいえ、梶先生の話は面白かった。私の恐れていた専門的な文法の話など一切なし。まず、梶先生はSILというキリスト教の団体が、聖書を翻訳するために調査した世界の言語統計を示された。なかなか面白いのである。これによると、世界の言語数は6909、100万人以上で使用されている言語が264、それだけで世界人口の93.8%を占めてしまう。残りの言語が、少数言語だといえるわけだ。こうしてみると、言語95%ほどが少数言語だということになる。国ごとに言語の多様性を見ると、パプアニューギニア、バヌアツ、ソロモン諸島がベスト3である。オーストロネシア系言語はかなり多様なのだ。で、その次に中央アフリカ、コンゴ民主共和国、タンザニア、カメルーン、チャドなどが続く。アフリカは、かなりの多言語社会だといえるわけだ。ところが、アフリカの言語の系統は4つしかなく、北アメリカのネイティブ達が50系統にも分かれているのに対して少ない。このあたりは、面白い現象で、その分布状況から、人の移動の様子が読み取れるわけだ。

さて、梶先生の講義の中で、特に印象に残ったことを3つ挙げたい。
ひとつは、言語=民族ではないという事例。一般論としては、言語=民族なのだが、先生の調査の中では、言語の違いというよりは、同一言語で、若干方言のような差異が認められるのだが、歴史的にそれぞれが王国をつくり、民族的アイデンティティが明確な場合があるということだ。たとえば、ウガンダのニョロ語、トーロ語などの5つの地域があげられるとのこと。なるほど…。

さて、そのウガンダで、先生は様々な説話を収集されているそうだ。時間の関係で今回は紹介をあきらめたとおっしゃっていたが、少しだけ紹介していただけた。面白かったのは、『男はなぜハゲるようになったか?』という説話。「昔々、飢饉になった。カボチャを奥さんが見つけてきて、それを鍋で蒸していた。そこへ夫が帰ってきて、それを独り占めしようとした。鍋を頭にかついで持ち去ろうとしたのだ。ところが熱い鍋が髪の毛にひっついて大騒ぎになった。結局、髪の毛が鍋に貼りついてしまい抜けてしまった。だから、男はハゲになるんだよ。」大笑いした。

最後に、梶先生は、これまで講演していただいた京大アフリカ地域研究資料センターの先生方の中でも、最も文化人類学的立場(アフリカの伝統的な部分を残していくべきであるという立場と言い換えてもいい。)の方だという印象を、私がもったことである。
京大のアフリカ地域研究の先生方は、アフリカの良さを論じられている中で、彼らの伝統的な価値観や生活様式を守る立場をとられている。当然であるが、前回の大山先生は、そういう中でアフリカ「開発の意味」を問い直す試みをされていた。梶先生は、クラウスという言語学者の少数言語の生き残りへの危機感に対して、アフリカについては、エスニックグループが人口に関わらず対等な立場をとっており、”陽気なエネルギー”がこれからも存続させていくだろうという楽観論を提示されている。いわゆる少数言語である部族語、共通語たるすなわちスワヒリ語やハウサ語などの商業語が重層的に使われていることには理解を示されたが、英語やフランス語などの旧宗主国の公用語には否定的であった。セカンダリースクールなどでの英語・仏語教育は、無理があり、公用語で行うべきではないかとおっしゃっていた。私は、開発を進める上では必要だと思っている。したがって、梶先生は『開発』より『伝統』を重視するというスタンスをとられている、と強く感じた次第。

以前、私は昨年4月29日付ブログで、『コンゴのオナトラ船と「猿」論争』という内容で、伝統と開発の二律背反した立場について書いたことがある。ありがたいことに、この投稿には、TVでオナトラ船の放映があったらしく、今日現在2859人のアクセスをいただいている。(全期間を通じて第2位のアクセス数である。)私にとって、梶先生は、この中に登場する人類学者氏を彷彿とさせる方だったのだ。アフリカの少数言語という世界を研究対象にされている以上、当然のことであると私は思う。伝統的社会を保持することと、(アマルティア=セン的)貧困に対処することは、様々な点でぶつかり合う。私は、こういう二律背反を生徒に伝えるしかない。答えは生徒に考えさせたいし、ある意味、永遠の命題であると思うのだ。

ところで、梶先生の著作『アフリカをフィールドワークする』を特別価格で講座の際に入手した。帰りの京阪電車で読んだのだが、無茶苦茶面白い。(言語学的な部分は難解で斜め読みしたけれど…)またまた楽しみが増えたのであった。休憩の時いただいたエチアピア・コーヒーも、すこぶる美味であった。次回9月の講座も万難を排して行こうと思う。

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