2011年7月3日日曜日

タンザニアのマチンガの話 3

ブルキナのワガの「マチンガ」たち スコールがあがった後動き出す
昨日のタンザニアの「マチンガ」の話の続編である。またまた、授業で生徒に説明する風に書きたいと思う。前回、ふれたように、マチンガは、中間卸売商と信用取引(マリ・マウリ取引)を行う。そのあたりが面白い。今回は、両者のウジャンジャな駆け引きの実際の事例を引いてみたい。(論理だけで説明すると、よくわからないのである。)小売り人が、卸売商に仕入れ代金(例のAグレード2000シリングといった約束の金額×売れた枚数)を支払い、卸売商が売れ残り枚数と支払い金を数えた後の事例である。

卸売商「(販売枚数)は5枚か…。」(支払い金額が300シリング足りない)小売り人「それは今日のウガリ(昼食代)に消えた。そしてオレは、今日の夜は空気を食べるんだ。」卸売商「エマは7枚、ドゥーラは帰ってこない。ここのところ、いったいどうなっているんだ。」(卸売商はポケットに支払い代金をしまう)小売り人「おい、(仕入れ代金を)全部持っていくのか?友だち(自分のこと)は(夕飯に)空気を食べるのにお前はビールで乾杯かよ。」卸売商「文句ばかり言うなよ。俺だってたいへんなんだ。今週は全然売れてないんだ。」小売り人「へこむなよ。ここ最近、客のみんなが、カネがないって嘆いているんだよ。1枚1250シリングでは売れないことを理解しろよ。」卸売商「じゃあ、1200シリングずつにすれば満足なのか?」小売商「1000、1000にしてくれれば、明日もこれ(今日の売れ残り)を売ってやるよ。」卸売商「なら、今日は1200ずつ返してくれればいいさ。でも明日もとりあえず1200シリングずつで粘ってみろよ。」小売り人「じゃあ、オレのカネくれよ。」卸売商「わかった。(卸売商は、5枚×50シリング=250シリングではなく、生活補助として2000シリングを渡した)明日は早く帰ってこいよな。」

小売商にとって、ウジャンジャ(狡知)な交渉とは長々と言い訳を並べることではない。「友だちは空気を食べるのにお前はビールで乾杯かよ。」などのコトバは、互いの境遇の不平等や自らの置かれた状況を端的に表している。ウィットのきいた文句やことわざ、格言を駆使して、個別の事情を普遍的な理に変換することも、よく観察されるそうだ。

この信用取引(マリ・マウリ取引)は、資本ゼロで小売り人はスタートする。しかも売れなければ返品可能、生活援助も必要である。資本主義的な通常の発想では、中間卸売商は極めて不条理な立場におかれている。しかも、ひどい時は、小売り人はそのまま商品を持ち逃げすることもるのである。この中間卸売商と小売り人は、血縁や地縁でつながっていないことが常である。全く初めて会った人間とも取引が行われる場合もある。(小川さんの詳細なデータで証明されている。)なぜ、このような不確実な取引を行うのか?以下、小川さんの推察である。

中間卸売商は、「ビジネスはギャンブルだ」と確信していて、小売商に能力主義を採用しないのである。その理由は、①小売商の販売結果が思わしくないのは、必ずしも本人の販売努力や販売能力の問題ではなく、、ある程度は運の問題だと認識していること。②中間卸売商たちが不確実な都市社会を生きるマチンガとしての仲間意識のうえに小売商の事情と行為に共感していること。③中間卸売商自身がこのような方法でうまく稼ぐことに自信をもっていること。だから、このマリ・マウリ取引というゲームを動かすために、ウジャンジャな嘘や騙しを織り込みずみのものと考えているのだ。ただし、その嘘や騙しには、適切なタイミングがあり、適切なやり方があることを理解しているものがムジャンジャ(ウジャンジャを身に付けた者)なのである。

実際、小川さやかさんは、小売り商も、中間卸売商もやっておられる。後半に出てくるが、この取引、無茶苦茶難しいらしい。結局、何も考えず、その場になって初めて対応する方がいいそうだ。その場の空気を読んで、全精力であたると、ウジャンジャなやり取りが出てくるらしい。

最後の最後に、小川さんは、このウジャンジャ、日本にもあるよね~と書いておられる。窮鼠猫を噛む。追いつめられた生徒のウソを見抜きながら許すことも多かったなあ。30年も教師をやっていると…。騙されるのも教育のうちなんて、自分を正当化してきた。(笑)でもその余裕が、生徒との信頼関係を形成していくのである。これって、中間卸売商的ウジャンジャ?

0 件のコメント:

コメントを投稿