2017年1月28日土曜日

朝鮮日報の記事を読む。

http://polandball.blog.fc2.com/blog-entry-193.html
このところ、日韓の雲行きが怪しい。何度かエントリーしているように、私は被害者の立場を理解すべきだと信じる立場である。だが、韓国の情治主義的な主張には、おそらく多くの日本人は辟易としてると思われる。正直、私も少し違和感を感じている。そんな中、WEB版の朝鮮日報(もちろん日本語版)に興味深い記事が出ていた。朝鮮日報は、韓国で最も部数の多い新聞である。

まずは、1月21日付けのソンウ・ジョン論説委員のコラム。「韓国の歴史上、日本を軽視した時に何が起きたか」である。かなり長いコラムなので、その趣旨をまとめるのは大変だが、韓国が日本の植民地支配を受けいて以来、「親日」はタブーであり、社会的に葬られるのを覚悟しなければならないほどになったと歴史を紐解き、。故に、日本の実体から遠ざかってしまっていると主張する。日本の現場で7年経験した氏は、こう書いている。「日本は強い国だ。経済の強国、文化の強国だ。憲法を改正すれば、すぐに軍事強国にもなる。国際的に尊敬も集めている。私たちは、そんな国の大使館前に70年ほど前のあやまちを追求する造形物を設置した。適切に解決されるように努力すると国として約束したにも関わらず、総領事館前に新たに設置した。かつて日本はあやまちを犯した。だが、私たちと同じような苦難を経験した他のどの国も、相手にこんな風にはしていない。韓国はそうしても構わない国なのだろうか。今、日本が落ち着こうとしている理由は、私が知る限りひとつだ。韓国が米国の同盟国だからだ。」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/01/20/2017012001474.html?ent_rank_news

http://polandball.blog.fc2.com/blog-entry-2026.html
もうひとつ。1月22日付のキム・テフン世論読者部部長のコラム。「ナミビア人に笑われる”謝罪するドイツを日本は見習え”論」である。韓国の最大野党の発言をとらえて、こう書いている。(趣意)「心が込められた謝罪がそうでない謝罪よりも良いのは当然だ。しかし、国と国との謝罪にも心を込めなければならないのだろうか。外交と倫理を混同してはいけない。謝罪に応じない日本を非難するとき、我々はドイツのことを良く引き合いに出す。しかし、ドイツも実際にはいつでも謝罪に応じているわけではない。ワルシャワのユダヤ人慰霊碑には膝をついたが、一方、旧植民地のナミビアには謝罪などしてこなかった。1904年からの4年間に75000人以上の虐殺をしたが、100年以上その事実を認めず、昨年やっと謝罪したのだ。今月5日、ナミビアの部族長らが米国で損害賠償を求めて訴訟した。ナミビア人の前で、ドイツを見習えなどといえば笑い者になる。国家間の謝罪とは本来そういうものだ。日本は昨年広島にオバマ大統領を謝罪は必要ないので来て欲しいと呼びかけた。ベトナムも(米国に)戦争中の被害について正式な謝罪を求めてはいるが、中国の南シナ海問題で訪問を求めた時、この問題については一言も触れなかった。韓国もまた達成すべき目標がある。北朝鮮の核兵器を破棄し大韓民国を統一することだ。そのためには、時に怒りや失望にも耐えなければならない。この目標を果たせば、日本はわれわれをこれまでとは違った目でみるだろう。」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/01/20/2017012001627.html?ent_rank_news

この両コラムは、日韓関係の真実をついていると思う。韓国にもこういう知性に基づいた意見があることを知っておくべきだと私は思うのである。

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