2017年1月2日月曜日

日経 元旦の社説を読む。

https://www.technologyreview.com/s/601519/how-to-create-a-malevolent-artificial-intelligence/
マレーシアに来て以来、日経を手にする機会が極端に減った。電子版も多くの記事が無料で読めるのは途中までなので、ついつい疎遠になった。現地企業に勤めているビジネスマンではない私としては、他の無料のWEB記事に流れてしまうわけだ。とはいえ、元旦の社説くらいは目を通したい。

予想通り、不確実な世界情勢への危惧から社説は始まっている。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO11258530R00C17A1PE8000/

日本は、、アメリカやEU、ロシアや中国がどうあろうとも、自由経済の旗振り続ける責務を負っている、と社説は説く。まあ、想定内の年頭社説である。しかし面白いのは、その後の部分であった。

加速するデジタル社会への対応の話である。米のジャーナリストであるトーマス・フリードマンの新著から「iPhoneやAndroidが生まれた2007年は、グーテンベルグ以来の技術的な転換点の年だった。」と指摘。20世紀の生産性向上がブルーカラーの肉体労働の代替だったのに対し、これから本格化するのは人工知能(AI)によるホワイトカラーの頭脳労働の代替である、というわけだ。

…こういう指摘は理解可能ではあるが、失業率の低いマレーシア(若干、非効率ではあるが、雇用を多く維持している社会だと私には見える。)に住んでいると、これから先の世界の人口増と雇用の問題を逆指摘せざるを得ない。それは、持続可能なのですか?と。

…今、日本で工学を学ぼうとするマレーシアの学生たちへの教材を作成中である。たしかに彼らは、社説にあるように、「デジタルネイティブー物心ついたときからデジタルに親しんできた人材-」であり、IT関係を学ぶことを希望している学生も多い。社説にある「第4次産業革命」を担うのであろうが、彼らが忘れてはならないのは、持続可能な開発か否かという社会科学的視点であると改めて痛感した次第。

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