2017年1月25日水曜日

IBTの話(78) 国費生卒業式

F36国費・卒業生の合唱
今回も日本人会館のゲートに立った。卒業式に来られる保護者を案内するためである。オープン・スクールや、私費生の卒業式では、英語で対応していたが、今回はマレー語で対応することにした。と、いっても、私の知っているマレー語は、妻に教えてもらった左(キリ)とまっすぐ(トゥース)、右(カナン)くらいである。案内するにはそれでなんとかなるが、おはようございます(スラマッ・パギ)、ようこそ(スラマッ・ダタン)、卒業おめでとうございます。(スラマッ・タマッスコラ)をプラスした。「旅の指さし会話マレー語」で調べたのだが、結局「卒業おめでとうございます」は、寮からバスでやってきた国費生に向けて発することになった。最初私の発音が悪かったようで、うまく伝わらなかったが、ジャパニーズ・カタカナ・マレー語だと解ってくれたようで、大いに喜んでくれた。(笑)

保護者には、「おはようございます」と「ようこそ」を使ったが、十分笑顔で受けていただけた。遠いところを来ていただいたのだ。そういう「オモテナシ」の心がなにより重要だと私は思う。

卒業式は、予想通り素晴らしいものになった。私費生と大きく異なる点は、全員がJPAから支給されたスーツ姿であったこと。なかなか壮観である。女子学生も足を見せてはならないというシャフィーイ派法学に則って、スカートではなく、パンツのスーツ姿であった。それから、マレーシア国歌の斉唱があったこと。司会は、日本語とマレー語で行われたこと。(私費生の時は英語であった。)来賓の挨拶も、英語とマレー語であったことなどが挙げられる。私費生の卒業式では、来賓の挨拶についてすこしエントリーさせてもらったけれど、そういうわけで、今回の来賓の挨拶で語られたことについては、私にはさっぱりわからなかった。(笑)A先生やM先生も同様のようだった。

卒業生の日本語の歌も実に素晴らしかった。(画像参照)ふと、私の前任校・3年4組の卒業式後のHRでの合唱を思い出してしまった。ところで、その後の写真撮影までは、私はスーツ姿だった。写真撮影が終わって、急いで着替えたのだ。国費生の男子学生が金曜日によく来ていた礼拝用のマレーの衣装に、である。先日マスジット・ジャメに行ったことをエントリーした(1月14日付ブログ参照)が、この時に妻が選んでくれたもので、サプライズで、卒業生を喜ばせてあげたい、と思ったのだ。

実は昨日、B君が私にプレゼントしたいと、自分の礼拝用の服を持ってきてくれたのだ。その気持ちはものすごく嬉しかったけれど、気持ちだけ頂いた。彼といっしょにいた(私のけがの時カカシのあだ名をくれた)A君の二人にだけ、実はすでに服を買ったこと、明日着ることを打ち明けてその想いに答えたのだった。今でも、B君の気持ちが嬉しい。私と体型が似ていてる彼の服をみて、よく「いいなあ、格好いいなあ」と言っていたのだ。(笑)全ての学生が、私のサプライズに喜んでくれた。こういうサプライズは、実は日本の茶の心にも繋がる。ちょっとしたことだけれど、やはり日本的な「おもてなし」の心だと思う。これは少しばかり自画自賛がすぎるかもしれない。(笑)でも、私なりに全力で国費生の卒業式に参加させてもらったわけだ。

「理想に生きることをやめた時、青春は終わる。」私の座右の銘は、観念ではない。行動を伴ったものである。最高のクラスをつくって卒業させた2年前以来、失いそうになった、理想への思いをを、マレーシアでまだまだ行動に移していることに幸せを感じる次第。また、それを支えてくれている妻にも、いつもお世話になっているIBTの先生方にも改めて感謝したいと思う。

そして、F36の私費生・国費生の諸君にも…。

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